2-1.石橋を叩けば渡れない。やると決めて、どうしたらできるかを調査せよ。
2-1.石橋を叩けば渡れない。
やると決めて、どうしたらできるかを調査せよ。
元日本生産性本部理事 西堀栄三郎
新しいことを始めようとすると、事前に調査をしてから……と釘を刺されることがよくある。失敗すれば、まず担当者は「事前調査が不十分だったのではないか」と非難される。
新しいことを始める時には、知られていないことや不明なことがたくさんあり、失敗するリスクもむろん大きい。
しかし、
「失敗しないように事前に十分な調査を・・・、などと考えている限り何も始められない」
と言うのは西堀栄三郎である。
「新しいことをやろうと決心する前に、こまごまと調査すればするほど、やめておいたほうがいいという結果が出る。石橋を叩いて安全を確認してから決心しようと思ったら、おそらく永久に石橋は渡れまい」
西堀は、日本が南極観測を始めた昭和三二年の第一回の観測隊の越冬隊長を務めた。日本には南極のデータはあまりない。しかもデータを集めれば集めるほど不安になる。隊員たちは、生きて帰れるかどうかと、泣きながら家族と別れたという。
前にも触れたが、観測隊の船は「宗谷」と決まっており、越冬隊長を拝命した時には、半ば完成していた。ところが、南極行きについては最高の経験を持つキャプテン・デイビスという船長に宗谷の青写真を見せたら、「こんな船ではいかん。間違いなく立ち往生する」と言われる。
南極大陸の目的地まで行くには、大型の船でバリバリと氷を割りながら強引に進むか、小型の機動性のある船で、氷が割れた瞬間を見てサッと渡ってしまうか、二つに一つ。宗谷は、大きさも機動性も中途半端なのだという。
こうした情報からすると、結論はどうみても中止以外にない。事前調査をやればやるほど否定的な結論しか出てこないのだ。そこで西堀はどうしたかというと、
「やると決めて、どうしたらできるかを調査せよ」
と言って調査のやり方を切り替えた。言わば建設的な調査である。
やるかどうかよりも、やるとしたらベストな方法はどれか、不慮の事態が発生した時にいかに対処するか、それを検討するほうが重要だというわけである。
実際の航海では、宗谷は何度か南極の氷に囲まれて、身動きがとれなくなった。そのまま長く止まっていれば、やがて氷の圧力で船が砕けてしまう。その立ち往生の様子がニュースで報じられ、いつ氷が割れて抜けられるかと国民は一喜一憂したものだった。
結局、何度かソ連の大型砕氷船オビ号にSOSを出して助けられたりしたが、西堀にはそれも計算のうちだった。
学生時代から登山に親しみ、探検家としてさまざまな困難に対処してきた西堀は、いざという時の自分の判断力には自信があったのである。
そうしたことを前提に、西堀は、意思決定に対するもっとも正しい態度として、
「完全無欠な準備や計画はない。『案ずるより生むがやすし』で臨むことだ」
と言っている。