≪1.横浜の開港と生糸貿易のはじまり004≫
港を作って外国人が入国してくると、開港場に外国人用に店舗や居留地を設け予定でしたが、間に合わないので、外国人を集めて神奈川宿の中で料理屋などが並ぶ神奈川台町の一角に住まわせるようにしました。そして台町に攘夷を叫ぶ武士や暴漢が入れないように東西に「黒い関門の木戸」(図4-1)を作り、番所を置いて見張りをつけていました。
「黒い関門の木戸を通って、横浜道へ向かった。番所のあるところから野毛山の下に出るには、内浦に沿うて岸を一廻りせねばならぬ。程ヶ谷からの道がそこに続いてきている。野毛には奉行の屋敷があり、越前の陣屋もある。そこから野毛橋を渡り。土手通りを過ぎて、仮の吉田橋から関内に入った」(図004-2)。