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075.岩倉使節団、取り込み詐欺にあう

立憲君主制とは、庶民に政治を任せると、利益追求に走って、イギリスやアメリカのような富の配分がいびつな国になる、それを防ぐには、利益追求に関心を持たない、皇族・士族のリードで国を運営する必要がある、ということです。
『ザ・タイムズ』のインタビューに応えて「弊害を回避する」という話が出てくる裏には、実は、こんな経験もしているのです。
使節団の参加者には、旅費のほかにそれぞれに手当が支払われていました。使節団の予算とは別に、一人一人が相当な額をフトコロに持っているわけです。
一行の会計担当は田中光顕理事官で、総員数十名ですからその金額は相当な額になります。旅の途上で、大金を持っているのは不安です。そんな状態で、こんなはなしがでてきたのです。田中光顕理事官の話(⑪『岩倉使節団 明治維新のなかの米欧『 田中彰 講談社現代新書)です。

「処で、一行が紐育(ニューヨーク:筆者注)に着くと当時英国のナショナル・バンク(ナショナル・エゼンセーのこと)に居た南貞助といふ男が遥々紐育へ迄来て、其金を自分の銀行に預けて貰ひたい。ソウすれば利廻りも特別に良くする。通弁も入ぬからと、頻りに勧めるので、木戸・大久保等も之に動かされ、夫なら預けたらどふだといふから、自分は旅費を利殖する必要がないとて拒むと、今度は銘々の持て居る臍栗金を預けやうといふ事になった。
(略)・・・
英国へ着くと間もなく其のナショナル・バンクが破産して、一同開いた口が塞がらなかったといふ奇談があった。」

『岩倉使節団 明治維新のなかの米欧『 田中彰 講談社現代新書)

  預けた銀行が破産したというが、お上りさんを鴨にした絵に描いたような計画的な取り込み詐欺だったようだ。南貞助も、使節団向けの臨時雇いにすぎず、彼も被害者で銀行は倒産して跡形もないということで苦情の持っていきようがなかったという。
少なくとも、女王が謁見するような使節団を相手に、取り込み詐欺が行われるなど日本人には考えられません。こんな経験もあって、欧米流の経済発展が、必ずしも文化や道徳面で人を高めるものではないという思いを強くしたのでしょう。
その是非はともかく、明治政府がとった立憲君主制は、言い換えれば、利を求めない貴族と、持たざることさえも誇りとする武士階級(政府)のリードがなければ国は正しく運営されないというのが根本でした。過度な富の追求を避けることが大切との判断でしょう。
 ダントツの周回遅れで文明社会に参入した日本が、はるか高みに到達して発展を遂げているアメリカ、イギリスを訪問しながら、決して卑屈にならず胸を張って視察を続けてきた背景には、欧米の文明が持つ負の面へのしっかりした認識があったからかもしれません。
書記役だった久米邦武がこうした報告を自信に満ちた筆致で書いているのは、おそらく団長の岩倉具視をはじめとする視察団一行の宿舎で、何度も熱い議論がたたかわされ、コンセンサスができていたに違いありません。
この詐欺にあった件は、使節団の公費ではなく、参加者個々人の日当などの小遣いをあてにしたもので、被害は預けた各個人の私用の資金だけ。そうしたこともあって久米邦武のまとめた「米欧回覧実記」には、この件は一切触れられていません。そもそもが資金を預ければ利息が増えて得をするという欲に誘われた話ということもあって、使節団の恥として記述しないという意見でまとまったのでしょう。
宿舎で活発に交わされた議論のテーマが、西欧社会の経済発展のプラスの面だけでなく、マイナスの面にも及んでいたというのは、ある意味で理想主義的な国家づくりという視点がしっかりあったということではないかと思います。
明治維新のクーデターが、世界でさんざん繰り返されてきた、権力闘争や私利私欲のぶつかり合いとは一線を画した、「忠」や「義」を基盤にした「私欲」から離れた、国の長期的なあり方をめぐっての争いであったということを、伊藤博文はスピーチで「日本人の精神性」の高さと述べたかったところではないかと思います。
こうした主張は維新を中心的に進めてきた長州藩側からの主張であり、その意見をそのまま認めるかどうかは異論のあるところでもあるかもしれません。その是非についてはここでは論じませんが、戊辰戦争から函館戦争までぶつかり合いはあったにしても、大政奉還から江戸城の無血開城まで、話し合いで推移したのは世界史的にも非常に稀有な出来事であり、それをもって「日本人の精神性の高さ」との主張もわからないではありません。

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