「空飛ぶサーカス」012 パパゲーナ、魔法のほうきをもらう
レオナルドやビンボーと同じように、パパゲーナもまた、サーカスの団員や動物を連れもどそうと、世界中を飛びまわりました。
そんなある日のこと、パパゲーナはどこまで行っても終りがないような大きな森に入り込んでしまいました。陽の光もとどかない暗い森の奥で、パパゲーナは一軒の家を見つけました。近づいてみるとそれは、ヘンゼルとグレーテルの物語に出てくるようなお菓子でできた家でした。ちょうどお腹がすいていたところです。近寄って屋根からクッキーを一枚とると、パパゲーナは口に入れました。ひゃぁ!パパゲーナは思わず声をあげました。それは、これまでパパゲーナが一度も食べたこともないようなおいしさだったのです。
家の中には明りがともっています。煙突からは煙がでています。その家には、だれかが住んでいるようすです。パパゲーナはドアをノックしました。中から年老いたおばあさんのしわがれた声が聞えました。
「お入り! ドアは開いているよ。」声にさそわれてパパゲーナは中に入りました。
「人がたずねて来るなんて、何百年ぶりじゃろうねえ。あんたが来てくれてうれしいよ! さあさあ、こっちへ来て、イスにかけるがいい。そうじゃ、とっておきのお茶でもいれようかの!」
パパゲーナはすすめられたとおりイスに座りました。おばあさんはかまどに近寄ると鍋をかけました。そして、テーブルにクッキーを並べました。
「はっはっは! 驚いたかね、わしは世界で一番年寄りのおばあさんじゃろ」おばあさんは言いました。「よくわからんが、千年は生きとるはずじゃ。でおまえさんはなにをしとるのかね?」
「サーカスの魔法使いなの」バパゲーナはこたえました。
「魔法使いだって?」おばあさんが驚いたように聞きました。「じゃ、おまえさんはホウキを持っているかね?」
「いいえ、でも魔法の杖と魔法の時計なら持っているわ」パパゲーナは二つの魔法の道具を手に入れたいきさつを話しました。
「本当かね、では、おまえさんの魔法の杖と魔法の時計を見せてごらん」声が震えているようでした。パパゲーナは見せました。
「なるほど、おまえさんは確かに魔法使いのようじゃ」おばあさんはパパゲーナの手をとってそう言うと、お湯がグツグツいい始めたかまどの鍋をおろし、お茶を入れはじめました。「よく来たのお、わしはおまえさんが来るのをずいぶん長い間待っとった。かれこれ千年にもなるじゃろう」
〈千年も!〉パパゲーナはおばあさんの言うことが信じられませんでした。
「おまえさんは、むかし魔法使いが裁かれ、火あぶりにされた時代があったことを知っとるかね。それはそれは、つらい時代じゃった」
パパゲーナは残念ながら知りませんでした。そしてその話を知りたがりました。
おばあさんはポットにろうそくを入れて、お茶がさめないようにすると、テーブルの上におきました。そしてパパゲーナのカップにお茶をつぎます。パパゲーナはお茶をひと口飲みました。その瞬間、パパゲーナはフッと体が軽くなるのを感じました。そして、自分がそれまでとまったく違うところにいることに気がつきました。その時になってやっと、パパゲーナはおばあさんがいれてくれたのが魔法のお茶だったことを知りました。
パパゲーナは古い家が並ぶある村にいます。道路を走っているのは自動車ではなく、馬車です。道には石畳がしかれ、人々が着ている洋服はパパゲーナが古い絵画の中で見たようなものです。人々はあちらこちらに散らばり、おしゃべりをしています。しかし、村人たちの声はまったく聞えません。遠くで話すおばあさんの声だけがやさしく聞こえています。
***
むかしむかし、あるところに若くて美しい娘が住んでおったそうな。
その娘は、ホウキの作りの親方に弟子入りして作り方を習ったそうじゃ。そして毎日工場に入ってホウキを作り、やってくる商人たちにホウキを売っていたそうな。ホウキを買う商人はしだいにふえて、それまでは考えられないほどのたくさんのホウキが売れたそうじゃ。しかし親方は「おまえが作るホウキは、わしが作ったものと比べて、品質はずっとよくない。しかし、おまえが売るホウキをたくさんの商人たちが買いにくる。彼らがお前のホウキを買いに来るのは、お前のホウキが優れているからではない。おまえの美しさを見たくて、ホウキを買いに来て、金を払っているのだ」そう言ったそうな。そしてそれは本当のことじゃった。
そしてある日、一人の青年がその娘を好きになり、娘のことを考えては夜も寝られないほどになった。彼は娘の顔を見、声を聞くために、毎日娘のところにやってきては、ホウキを買っていった。そしてやがて青年は娘に、彼の奥さんになってくれるように頼んだそうじゃ。しかし、娘はその青年があまり好きではなかったので、奥さんになることを断ったそうな。青年は悲しさのあまり病気になってしまった。それを知った村の人たちは、娘の美しさを妬んでいたこともあって、「あの娘は魔女に違いない」と噂しだした。そして青年が死んでしまったあと、村人たちはますます噂を広めたのじゃ。ついに、娘は裁判所から呼ばれ、取調べられることになってしまった。
裁判官は、娘が本当に魔女の仲間かどうか知りたがった。「私はまだ魔女を見たことがありません」娘は答えた。
しかし、裁判官は「ウソをつくな!」と言って娘の言うことを信じなかったそうじゃ。というのは、裁判官がもっている法律には、〈美しい娘は悪魔から魔法をかけられて、自分でも知らないうちにだまされていることがある〉と書かれていたのだ。ひどい法律じゃが、その法律にはこんなことも書かれていたそうじゃ。〈悪魔から魔女にされたむすめはホウキに乗って飛びまわり、悪魔とブロッケン山に集まって踊りあかす……〉。だから裁判官は「悪魔やブロッケン山のことを知っているのではないか?」とか、「ホウキに乗れるのではないか?」などとしつこく娘を尋問した。しかし娘は、すべて「いいえ」と正直に答えるしかなかった。すると裁判官は娘に拷問をかけたのじゃ。かわいそうに娘は拷問の怖さから、そこで、裁判官が納得するようなウソの返事をしてしまった。つまり、こんな具合にな。
「おまえはホウキにまたがってブロッケン山へいったことがあるか?」
「はい」
「そこで悪魔とダンスをしたのだな?」
「はい」
「それでよろしい」
裁判官はそう言って納得すると、彼女に火あぶりの刑を言いわたしたそうじゃ。
やがて死刑の当日がきた。死刑の執行人は娘を死刑場に連れて行くにあたって、
「何か最後の望みはないか?」と聞いたそうじゃ。そこで娘は、
「最後にもう一度だけホウキにさわらせてください」そう頼んだそうじゃ。死刑執行人の横にいてそれを関いていた裁判官は、
「よしよし、ホウキを持って来てやれ!」と命じたのじゃ。というのは、やっぱり法律に〈死刑になる人間の最後の望みはかなえてやらなくてはいけない〉と書かれていたからでのう。しかし、刑執行人は、
「もし彼女が本当の魔女だったら、ホウキで飛んでいってしまいます」
そう言って反対したそうじゃ。しかし裁判官は、
「キミはホウキで飛ぶ魔女を、本当に見たことがあるのかね?」と笑って答えたそうじゃ。
そして裁判官は彼女が働いていた工場から、一本のホウキを持ってこさせた。
いよいよ火あぶりの刑の薪に火が点けられたその時、娘はホウキに飛びのり、魔法の言葉をささやいたそうじゃ。その魔法の言葉は、死刑の前の日の夜、夢のなかで知らないうちに覚えた言葉じゃったそうじゃ。
火あぶり、死刑、裁判官、
みんなウソつき、デタラメばかりI
ホウキよ、ホウキ、私を連れてゆけ!
ホウキは娘をのせて空中に飛びあがり、やがてどこかに連れて行ってしまったそうじゃ。魔女の火あぶりを見ようと集まってきた見物人たちは怒り、裁判官や死刑執行人をつかまえて、火の中に投げこんでしまったとか。
***
おばあさんの声はそこで止まりました。どうやら話は終ったようでした。が、しばらくの間パパゲーナは、あまりの話に動くこともできませんでした。自分が、あのお菓子の家にいて、テーブルに座っていることに気がついたのは、おばあさんの声が近くで聞えてきてからです。
「こうして、たくさんの魔女が火あぶりの刑にあい、死んでいった! 悲しいできごとじゃ」おばあさんは言いました。
「でも、どうして他の魔女たちはホウキにのって逃げなかったの?」パパゲーナは聞きました。
「本当を言えば、みんな逃げたくても逃げられなかった、つまり、あの娘たちはかわいそうに魔女でもなんでもなかったのじゃ。拷問が怖くてウソの証言をしてしまったわけさね」おばあさんは悲しそうに言いました。
「でも、いまの話の若い娘はホウキで飛ぶことができたわ」
「そうじゃ」おばあさんは言った。「たぶんあの娘だけが本当の魔女じゃったんじゃろう、あるいはまた・・・」そこでおばあさんは口をつぐみ、考えこみました。
「また、なあに?」パパゲーナは間きました。
長い時間がすぎました。そしてやがておばあさんはふたたび口を開きました。
「もしかするとあの娘も魔女ではなかったのかも知れん。あの娘を助けたのは月だったのではないかと・・・」
「月ですって?」パパゲーナは聞きました。「月をよく知っているんですか?」
「知っているとも。月と星のいのちは永遠でな、この二つはわしをずーっと守ってくれとるし、ときどきは遊びにもやってくる。しかも、月はよくおみやげさえ持ってきてくれるのじゃ。この前なんかは、なんとお金の入った大きな袋を持ってきてくれたよ。」
「えっ?お金ですって? まさか?」パパゲーナは驚きました。「もしかしたらその袋は銀色じゃなかった?」
「ああ、そういえば銀色をしとったのお。」
ああ、この話をシルバーサック団長やメッサーシャーフ警部に聞かせてやったらどんな顔をするだろう、パパゲーナはそう思って一人でニヤニヤしました。
「でも、こんな森の奥でお金なんか使えないでしょう」パパゲーナは聞きました。
「いやいや、そんなことはないよ。もし、だれかここに迷いこんできたら、わしも何かおみやげをやらねばならんじゃろ? あのヘンゼルとグレーテルがやってきたとき、このお金をやることができたら、どんなにあの二人は喜んだかしれん。そうじゃろ?」
おばあさんは銀色の袋を取りに、隣の部屋に入って行きました。部屋に戻ってきたときには、おばあさんは銀色の袋だけでなく、ホウキも一本さげていました。
「ほれ、これが魔法のホウキじゃ。おまえにプレゼントしよう。持って行くがいい」おばあさんは言いました。
「それで飛べるの?」パパゲーナは聞きました。
「もちろんじゃ、それであの娘が死刑から逃げて来たんじゃから」おばあさんはそう言うと、うれしそうにホウキをパパゲーナにかざしました。
「えっ、じゃあの人を知っているの?」
「ああ、よう知っておる」おばあさんは、秘密を打ち明けるように言いました。目がなつかしそうに笑っています。
もしかすると、いま目の前にいるこのおばあさんこそあの逃げてきた娘かも知れない、とパパゲーナは思いました。
「ねえ、あの話しはおばあさんのことなの?」パパゲーナは間きました。
「これこれ、そういくつも質問するものではない」おばあさんは言いました。「明かしてはいけない秘密というものがあるのじゃからのう」
「でも、わたしも魔女よ、私には話してもいいんじゃない?」
おばあさんは頭を振りました。「この次に来たときの楽しみにしておこうぞ!また来ればよいわ」そう言いながらおばあさんは、パパゲーナにもう一杯お茶をつぎました。「そうじゃ、教えておくれ、人間はいまでもヘンゼルとグレーテルの物語を読んでいるのかい?」
「ええ、グリム兄弟が書いた童話はどこの本屋さんでも売っているわ」パパゲーナは答えました。
「そうかい、そうかい。あれは、わしが彼らに話して間かせたんじゃ」そう言うと、おばあさんは思い出すように話しはじめました。
「あれは、いつじゃったかの」彼女は立って行ってカレンダーをめくった。「そうそう一八二一年じゃった。グリム兄弟のウィルヘルムとヤコブがやって来てのお……」
パパゲーナは窓から外をのぞきました。とんがったレンガの屋根のかまどが見えました。おばあさんはそのパパゲーナの視線に気づくと、
「そう、いまは使ってはおらんが、かまどは外にあるよ。わしはグリム兄弟にたしかに話
を一つした。でも彼らが書いた物語は、わしが話したものとはまったく違うものじゃ」
いたずら坊主を温かく見守る母親のようににこにこしながら言いました
「たぶん、おばあさんの話も楽しかったでしょうね。でもいま子供たちが愛しているのは」パパゲーナはおばあさんのキラキラ輝く、目を見ながら言いました。「グリム兄弟が書いたお話では魔女は悪い人になっています」
「知っておる。もうあの話を変えることはできん。だから、わしも本当はどんな話をしたのか、忘れてしまったほどじゃ。だからここでその時にグリム兄弟に話した内容をおまえさんに話そうとは思ってはおらんが、おまえさんは人問たちに伝えることはできるじゃろう。わしは悪者ではないし、人間を食べたりはせんとね。ここは寂しいから、ときどきヘンゼルやグレーテルが遊びにきてくれるとうれしいのじゃが、残念ながら、グリム兄弟があの物語を書いてからは、ここにはだれもやってこなくなってしまった。おまえさんが初めてなんじゃ」
おばあさんはもう一杯お茶をついでくれました。
「そう、これからは、おばあさんが寂しがらなくてもいいように、私もときどきくるわ」パパゲーナは言いました.「たぶんサーカスのみんなといっしょにね」
おばあさんは頭を振りました.
「いやいや、おまえさんはここへくる道がわからんじゃろ」
「帰りにパンくずとか、小石なんかを落していけば、この次くるときの目印になるわ」パパゲーナはそう言いました。おばあさんはしかし、頭をふるばかりでした
「ふつうの人間には、わしは一度しか見えんのじゃよ。だから、たびたび仲間を連れてくるというのは、難かしかろうて」
夜も遅くなってきました。いろいろなできごとがあったので、パパゲーナは疲れて眠くなってきました。
「だいぶ遅くなったようじゃ」そう言うとおばあさんは立ち上り、パパゲーナのためにベッドの用意をすると、自分の部屋に下がっていきました。
パパゲーナは用意されたベットに横になりました。月の青白い光が窓からさして、壁を照らしています。風に吹かれて、森の樹の枝の影が、壁の上で音もなくゆれています。頭のなかではいろいろなことを考えましたが、パパゲーナはゆったりした気持でした。やがてパパゲーナは静かに眠りました。 朝近く、薄明りのなかでパパゲーナは目を覚ましました。森のようすがよく見えます。はっとして、回りを見まわしてみると、パパゲーナは地面に横になり、木の葉が彼女を暖かくくるんでいます。お菓子の家はありません。
鳥たちは鳴き、月は木々の枝の間からのぞいています。
「ぜんぶ夢だったのかしら」パパゲーナにはよくわかりませんでした。でも、目をこすってよく見ると、近くの木の枝には銀色の袋が下がっていました。また、近くにはホウキも立かけてありました。
パパゲーナはおき上がって体を伸ばすと袋を肩にのせました。そして、ホウキにまたがると魔法の言葉をとなえてみました。
火あぶり、死刑、裁判官、
みんなウソつき、デタラメばかりI
ホウキよ、ホウキ、私を連れてゆけ!
言葉と同時にパパゲーナの体は浮き上がり、やがて、空に高く飛び上がって行きました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?