Y6-2. 猿島――東京湾に浮かぶ要塞
猿島。終戦までは、東京湾・首都圏防御の拠点であり、軍の要塞があったので、渡航が禁止されていた。いまは、緑豊かな公園として整備されている。
■ 三笠桟橋から10分の遊覧船
猿島は、東京湾に浮かぶ最大の自然島である。三笠公園の沖合1.75kmに位置する周囲約1.6kmの小さな無人島だ。現在は全島が猿島公園として横須賀市が管理している。
近年は、島内散策や釣りの穴場として人気もあり、発着場周辺に残るわずかな砂浜を利用して海水浴もでき、バーベキューの器材もレンタルで楽しめることから家族連れや、若い人たちのグループでにぎわっている。
この猿島へ渡航する遊覧船は、記念館「三笠」のすぐ裏にある三笠桟橋から出ている。
記念館三笠のすぐ裏に案内所があり、猿島への入園料(200円)を払って猿島への往復チケット(大人一人1,400円)を購入しよう。
猿島への渡航時刻表は、8:30~16:30まで1時間ごとに、猿島からは09:45~17:00まで1時間ごと。
猿島までは所要時間は10分ほどで、島の発着場は島に唯一ある砂浜。
食材と調味料、食器を持参すれば、対岸の横須賀の街を遠くに眺めながらバーベキューが楽しめるので、海風に吹かれてのBBQの意外な穴場かも。
webページが<a href="http://www.tryangle-web.co.jp/sarushima/">ここにある。
■整備されて現代によみがえる要塞基地
猿島は、幕末から第二次大戦前まで、東京湾と首都防衛のための拠点だった。
弘化4(1847)年、幕府により江戸湾防衛のための台場が設けられたのが最初だ。
長崎に出入りしているオランダから外国の船が日本周辺で様子をうかがっているとの情報を得て、江戸湾に入ってくる外国船への防衛策だったが、そのための十分な火力を持った武器もなく、黒船の江戸湾奥への入船も阻止することもできないありさまだった。
明治に入ると首都防衛の必要性がさらに高まり、陸軍省・海軍省の所管となって、本格的な砲台が構築された。
小高い丘を切り開き、岩盤を削ってトンネルを掘り、煉瓦で覆った兵舎や弾薬庫などをつくって、本格的な要塞を作り上げた。
しかしながら、この猿島要塞は一度も実戦を経験することなく、終戦を迎えている。
戦後は米軍に接収されたが、渡航は可能になり、海水浴などに利用された。
長い間、放置されている状態が続き、平成7(1995)年に横須賀市が大蔵省から委託を受けて管理するようになって、要塞の施設も含めて公園として整備された。
平成15(2003)年に、横須賀市に譲渡されたのを機に、横須賀市が猿島公園として整備した。現在は、案内をするボランティア・ガイドもいて、人気の観光地になっている。
島全体の管理事務所は発着場近くの砂浜にある。季節によって売店(7-9月)、レストラン「オーシャンズキッチン(7月中旬~8月末)、BBQのレンタルショップなども営業しているが、ほかには売店なども何もないので、音連れ瑠際は、必要な飲料などはしっかり用意していった方がいい。 詳細は、WEBページで事前に調べておこう。
■要塞の中を散策する
島内散歩のスタートは管理事務所から。すぐ裏に、明治時代につくられた発電所がある。もちろん島内用だ。
この横の道を上っていくと、切り通しに出る。右に壁をくりぬいてレンガをはめた兵舎跡や弾薬庫が見える。中もきれいに整備されているが、入るには事前の申込みが必要だ。
兵舎の上には階段が付けられていて、かつては砲台があったがいまは藪の中だ。
この要塞で多くの兵士が生活をしており、トイレも風呂もあった。写真はトイレの跡である。
感心するのは、兵舎や弾薬庫の出入り口や窓の装飾、上部アーチなどがていねいに作られていること。軍施設であるが故の、張り詰めた気持ちを癒そうとしたものだろう。
切り通しはトンネルに続き、トンネルの中にも、弾薬庫など施設がつくられていた。
トンネルを抜けて少し登ると、砲台跡があちこちにある。
いまは木々が茂って島外への見通しはあまり良くないが、この茂みを、隠れ蓑として利用すれば、要塞としては悪くない環境にあるのだろう。
帰りがけに寄った管理事務所近くの広場には三角点があった。
ぐるっと島内を一周すると、およそ1時間。
帰りの渡船は1時間おきなので時間を調整し、適当に休憩を入れながら余裕を見て回ると2時間は必要か。
古びて苔むした、緑に囲まれた道は気持ちよく、草いきれを吸いながらの散歩は日ごろの疲れも癒される。