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Y5-2-3. 横浜製鉄所が残した足跡(3)--わが国初の石鹸工場
日本で初めて石鹸の製造を事業化した堤石鹸製造所。明治15年頃の最
盛期。中村川が運河として輸送に重要な役割を果たしていたことがよく
分かる(神奈川県立博物館編『横濱銅板畫-文明開化の建築』有隣堂)
我が国初の石鹸工場
もう一つ、わが国初の石鹸工場も、この横浜製鉄所、横須賀製鉄所の流れの中から生まれた事業の一つである。
JR石川町南口の改札口を出ると目の前を中村川が流れる。
右に行くと、横浜元町の商店街にでるが、商店街とは逆、左(西)の方に、1.3キロほど行くと、右手に5つ目の橋「三吉橋」がかかっている。
三吉橋を渡った先には大衆演劇の三吉演芸場があり、その先は、横浜の黒門市場と称される、買い物客で混雑する横浜橋商店街だ。
商店街は帰りの楽しみにして、橋を渡ってすぐ右に折れて川沿いの道を東=駅の方向に少し戻ると、左に横浜市万世ポンプ場があるが、その手前「万世子供の遊び場」の入り口に「石鹸工場発祥の地」の碑が立っている。
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明治10年に第一回国内勧業博覧会で受賞し、事業を発展させた。
明治6(1873)年、横浜の堤磯右衛門が洗濯石鹸の製造に成功し、日本最初の石鹸工場を建てたのがこのあたりだ。
堤磯右衛門は近くの磯子村に生まれ、幕府の横須賀製鉄所建設に際して工事監督を務めた。その際、現場で石鹸が使われているのを見てその効果を確認。フランス人カメラマンのボイルより石鹸製造のノウハウを教えられる。
調べてみると輸入額がかなりの金額にのぼっていることを知り、石鹸づくりの事業化を思い立って、三吉町4丁目に工場を建てて、製造を始めた。
その後、研究を重ねて化粧石鹸、香水、洗髪粉の開発に成功して事業を広げていった。やがて、商品の優秀性が認められるようになり、数々の博覧会などで受賞するようになっていく。
図の右上に記入されている円形のマークが博覧会などで受けた賞牌である。堤自身はこの後、インフルエンザで明治24年に倒れ、堤石鹸製造所も同26年には閉鎖された。