044.旧ポートトレインD51と転車台
■憧れのハワイ航路――ボート・トレイン
新港に鉄道が延長された際に新港埠頭4号岸壁の脇に旅客用のプラットホームが設置されました。いま、島式のプラットホームが1つ復元されています。日本郵船および東洋汽船のサンフランシスコ航路(ハワイ経由もあり)出航日に合わせて乗船客と見送り客を輸送するために、ボート・トレインが東京駅から下って、鶴見駅をすぎたところで当時設けられていた貨物路線用の高島線に入り、横浜港駅まで1往復運転されるようになりました。
ボート・トレインは、現代でいえばNEX(成田エクスプレス)のようなものですが、列車は2・3等車の7両編成。独特の風情があって人気だったようで、出迎えや見送りだけでなく、これだけに乗るファンもあったそうです。乗りてつのハシリでしょうか。ただ、昨今の気軽に行けるNEX-成田-海外旅行と違って、外国航路は勤め人の年収ほどの費用が必要な高価な旅でしたから、はるかな夢の憧れの旅だったに違いありません。
■転車台は、D51とともに横浜・本牧市民公園で公開
という状況を調べながら、じつはこの臨港路線、横浜港駅を見ていて、終着駅=行き止まりの駅なのにどうやって蒸気機関車が折り返していたのだろうと気になりました。と思っていたら、『横浜の鉄道物語』(長谷川弘和 JTBキャンブックス)によると、「ボート・トレインをけん引した機関車は新港ふ頭に転車台が無いために、高島機関庫まで単機(バック運転)で帰って方向転換をして横浜港駅まで(バック運転で)戻っていた」と書かれています。
(バック運転)はどちらも私の注記です。どちらもバック運転でないと方向が合いません。わざわざバック運転で往復するならそのままでもいいではないかと思うのですが、蒸気機関車は運転席の後ろにある石炭車が邪魔して前(後ろ?)が見えません。単機ならともかく、乗客を乗せた客車をけん引しては、バック運転はさせられないということかもしれません。バックでは運転手さんは見にくかったろうとその光景を想像して、つい顔がゆるみます。
どうやら前にご紹介した2代目横浜駅近くに設けられた貨物用の高島町駅に操車場があり、そこに転車台と扇形庫があり、そこで反転させていたらしいのです。その転車台は、いま、本も来公園に置かれ、この路線を走ったD51とともに展示されています。
もともと初代横浜駅に、蒸気機関車が折り返すための転車台があったはずですから、それを流用すればよかったと思いますが、最初に敷かれた新橋-横浜の線路と、臨港線の貨物船は乗り入れができなかったのでしょう。
私は「てつ」ファンではありませんが、山下公園や汽車道をバックで走る蒸気機関車!は私も見たかったと思います。昭和35年8月までボート・トレインが走っていたそうなのでその気になれば見られたはずです。そういう興味がなかったのだから仕方がありませんが、近くにいながら見損なったのが残念です。私には、初耳の情報ばかりですが、「てつ」ファンの方々には先刻ご承知の情報なのかもしれません。
●本牧市民公園・所在地:横浜市中区本牧三之谷59