力士の平均身長から考える
力士の平均身長がさがっているイメージがある。一方で体重は年々増加の一途ではないか。昨年夏場所前の計量による平均身長は幕内が183・3センチ、157・3キロ。十両は180・9センチ、平均体重は160・5キロとのこと。身長は思ったよりも高く体重は思ったほど増えていない。
これは大兵、小兵力士が増えたことが大きいのだろう。つまり一部の力士が平均身長を増やし平均体重を落としている。小兵と言えるのは170センチ代中盤までといえるが幕内では貴景勝、翠富士、翔猿、宇良、平戸海等が該当する。一方巨漢力士は貴景勝、高安、琴ノ若、御嶽海、碧山あたりか。
かつて力士は大型が多かった。例として昭和55年初の幕内力士を見ると慎重が180センチ以下なのは北の湖、鷲羽山はじめ5人程。北の湖も181センチで登録されたこともある。当時の15歳の平均身長は166.9センチ、20歳で170.4センチなのを比較すると誰でも大きい。更に戦前の昭和15春の幕内力士は5枚目以内で見ると
昭和14年の平均身長は15歳で158センチ、20歳で165センチである。平均より10センチ以上大きい力士が多い。
さらに大正9年春の幕内力士は
大正9年の男子平均身長は17歳160センチ、20歳で162センチとのこと。大ノ里は小兵の大関で知られるが当時の成人男性の平均だった。両国国技館開館以降の明治大正期の力士で162センチ以下なのは玉椿だけ。165~170センチが多い印象。どの時代も小兵と表現されても一般社会では大きい部類だ。如何に玉椿が努力を重ねたかが偲ばれる。
横綱の入門前のエピソードにも
栃錦は運動神経抜群で水泳、ドッチボール、三段跳びなど何でもできた。大きな体から「スモウ」とあだ名されていたのも読んだ。(文献が探し出せない)
当時の新弟子検査基準は身長5尺5寸(166センチ)、体重19貫(71キロ)以上。身長は男性平均に近いがこれを満たさない成人男性は多かったのではないか。大正生まれで165センチとなると珍しい。栃錦は
相撲界の平均が一般社会の大柄な体格より遥かに上だった。頭一つ抜けるほど大きい少年が体重だけとはいえ検査基準を満たさないというのは驚きである。この時代は地域でも体格差が大きいが現在より大相撲は選りすぐられた人材だったと理解できる。
ところが近年は一般の平均より小さい力士が目立ってきた。春場所の新弟子検査合格者を見ると
170センチ以下 5人
170センチ代前半 8人
170センチ台後半 8人
180センチ以上 12人
33人中170センチ台までが21人である。かつてでは検査合格ギリギリが13人もいる。そもそも総数が33人というのも少ない。一方体重は
100キロ以下は7人で平均123キロ程。入門時より立派な体格で関取の風格だけ?はある。しかし身長に比すると太りすぎではないか。やはりどれほど筋肉があるかだが相撲の不人気、スポーツが多様化し大柄な人間が入りにくくなっているのだろう。
武蔵川(武蔵丸)は100年も持たない、50年位で終わるかもしれないと批評していたが力士数減少の一途。体格面で見ても良い未来が見えないがどうなるのか…