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50年前の夏場所


夏場所大関琴ノ若が琴櫻を襲名したが、50年前の昭和49夏は横綱琴櫻の最終場所であった。正確には次の場所にも名前があったが場所前に引退。横綱ではよくあるケースである。
まず番付。

輪島 10勝 横綱 琴櫻 0勝4敗11休
北の富士 休場 張出
北の湖 13勝 大関 貴ノ花 2勝4敗9休
大麒麟 10勝 張出 大受 6勝
魁傑 8勝 関脇 高見山 8勝
黒姫山 9勝 小結 長谷川 4勝

この場所北の湖が13勝で優勝した。輪島が10勝、琴櫻は3敗から休場、北の富士は全休。貴ノ花は途中休場で大麒麟が10勝。上位は締まらない。平幕の2桁は3枚目の豊山が11勝、4枚目の増位山が12勝、6枚目荒瀬が11勝と、大関以上の休場が多いが平幕上位もあまり振るわず中位以下の勝ち越しが多い。北の湖の進境著しいが場所としてはあまり良くなかった。

読売大相撲恒例の座談会を見ると表題が「北の湖は大力士になれるー高めたい横綱の権威ー」。北の湖に大きな期待がある。

しかしこの場所は横綱が締まらなかったということで横綱というものの在り方がほとんどになっている。そこから現代と比較してみたい。まず各氏の発言を見ると

玉の海 昔の人だったら横綱の責任、己の進退というものは、自分の見識でやったと思うのだが、現在は横綱の与えられた権利というものは行使しているが、責任という事については全く考えてないんじゃないかな。

天竜 権利だけ主張して責任は考えていないという社会風潮なんですね。そういう時勢なればこそ横綱の責任というものを大事にして、立派に責任を果たすようにすべきと思う。世間もそうだから権利だけ主張して責任も全うしない。伝統ある相撲道はなくなってしまう。

年6場所制になったのだから2場所良かったらすぐに横綱にするのじゃなくて、3場所なら3場所の勝率を決めてすべきじゃないか。

神風 特権が与えられてるんだから出るからにはそれだけの責任を果たすべきだし、果たせんのに出るという事は、それが続けば潔く身を引くべきじゃないですか。佐田の山は立派でしたね。覚悟を決めて責任を果たすべきですよ。

小坂 横綱は長い歴史の上に厳として立って続いてきてるんですね。に本人の性格的なものとして無償の行為に非常に高い評価を与えますから、プロよりもアマチュアなものに高い評価を与えがちですが、相撲だけは別格なものとして待遇されてきた。プロスポーツでもっとも長い歴史を持っているのは日本の相撲であり、頂点にあるのが横綱ですが、神懸かり的な横綱を論ずるのじゃなくて。現代の協会・力士の手によって破壊することは見ていられないですよ。そういったものをなんとか支える必要があるんじゃないかと思う。しかしそれは内部で持ち続けることが大事なんで、本人に自覚がなければどうしようもない。

一部編集

長くなってしまった。横綱を窺う人材もいない現代にも響く。それどころか大関すら保てない中、昇進条件はよく議論となる。勝率は単なる星数より比較的公平で、判断材料として良いのではともいわれるが、相撲協会は依然として星に拘る。どうなのか。

2場所云々で思うのが霧島。初場所は横綱取りをかける場所として臨み、中盤まではその可能性も大いにあった。しかし千秋楽照ノ富士に100年早いとばかりに吊りだされ、以降沈んでしまった。首や腕のケガとも言うが流れがすっかり変わり、大関陥落。もしも初場所横綱昇進であればどうなったのか。ある意味昇進がなくよかった。

横綱そのものを持ち上げることにも

小坂 中身を変えるべきじゃないと思う。変えるならばそういう称号をやめてもらいたいですね。今年度第一位力士でいいじゃないか。力士自身もそこまで真剣に考えたことがないんじゃないかと思うが、お相撲さん自身がしっかり自覚してもらいたいですね。

天竜 協会の立場が、横綱を大事にする、立派なものにするという意識が薄れているんですよ。見物さえできればいい、金さえもうければいいという甘い考えである。 (中略)これまで大事にしてきた横綱というものを、今年度第一位、第二位という割り切ったもので終わらせたくないと同時に、横綱の権威をもっと大事にするということを協会自身考えなければならん。
マスコミも軽薄だと思う。場所が始まるか始まらないうちに「大鵬の記録を破る横綱が」とか書いてる。そんな問題は優勝してから初めて考えるべきであって、いかにして充実した完璧な横綱を作り上げるかに重点を置いてもらいたい。 特にスポーツ新聞がいけない。

一つ一つが現状への批判に思え、長くなる。

武蔵丸が近年は一番頑張った人が優勝と纏めているが、たしかにもはや番付は付録のような存在で実力の参考程度。実質今年度第一位、第二位といった状況であろう。

スポーツ新聞~とあるが、近年の記事は勝った負けたに終始し手さばきもほとんどない。記者の能力はこの程度かとガッカリが多い(元力士でアメリカの俳優が亡くなったが師匠の高見山を当初故人扱いしていた)。朝乃山の問題では、番記者がおこぼれに与る状態で、隠蔽や口裏合わせまでしていた。宮城野の問題も制作会社の社員が関与していた。最近の不祥事は外部の人間が唆し、ことを大きくするパターンがトレンド?か。かつては雑誌でもスポーツ紙の記者が健筆を振るっていたものだが、期待もできない。

照ノ富士はもはや限界とはいえ、横審も秋場所まで静観というあたり、引退後の角界を考えると責任を追うことが難しいのが本音だろう。 権威・自覚以上に相撲界が崩れつつあることを小坂・天竜・玉の海は考えただろうか。つづく。


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