横綱のありかた。横綱という地位は単なる最高位というものではなく相撲界全体の重石ともなる。玉の海氏は
大相撲と実社会の乖離は年々広がる。かつては許された無理篇ゲンコツ式の指導も難しく、それどころか稽古中の振る舞いですら槍玉に上がることも。かつての白鵬の所業は論外としても、張り手やカチ上げも見苦しいとして減っていくのではないか。それ以上に体重増もあってか攻防は単調になりがちで、一挙手一投足に見ごたえがあるのは小兵と言われる力士が多い。
他スポーツでも倫理観が問題となっている。 スケートボードの飲酒問題、ハンドボールの重大な違反などか。いずれもかつては許されていたと思う節があるもの。とはいえ相撲界はまだ浮世離れした面が許されることもある。
横綱の話に戻すと、とどのつまり昇進基準ということになるが
玉の海は現役最強時に突然亡くなっただけ、その理想に縋ることのできる横綱というのは伺える。しかし現実的に衰えを見せずに引退は無理な事。白鵬とて晩節を汚した。
結局自発的な考えでモノを決めるのは難しいのだろう。 性善説をかざしても通用しない現代と同じ。仮に大関に陥落制度がなければどうなっていたのか。かつての3場所負け越し制度が維持でも多くの大関が救済されるだろう。
横綱より強い小結、関脇といわずとも大関より強い小結、平幕というのが恒例になっている現状。千代の山が横綱返上を申し出たことがあったが、大関を自ら降格を申し出る力士がいてもいいと思う程であった。 このあたり権利を主張するものの責任は軽いに通ずるところあり。
横綱というのはもともと大関として相応の成績を挙げた力士に対する功労的な称号であった。しかし単なる地位に変化し、それすらも骨抜きとなりつつある。長期にわたる空位の可能性は高いがどう変質していく。
現在でも番付は水物とし、機運に依るところがある。ランキング化した現在、数字的な基準を示していくべきだろう。