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新大関で考える

豊昇龍が大関昇進。立浪部屋の優勝は若浪以来55年ぶりで大関は双羽黒以来37年ぶりである。若浪の優勝時、理事長は双葉山の時津風。いわば双葉山の晩年でありそれほど長い雌伏の時代があった。


新大関といえばかつては大ニュースだったが気のせいか近年扱いが悪い。大相撲の凋落、外国人力士、女子サッカーやラグビーなど他のスポーツも多いためもあるだろうが大関という地位自体にあまり信用がなくなっているのもあると愚考する。


何といっても大関陥落が急増した。この10年で昇進した大関は245代の豪栄道から豊昇龍まで10人。2場所目の霧島以外いずれも陥落経験者である。その霧島も早々に角番と低空飛行である。豪栄道は陥落決定で引退、照ノ富士は陥落→序二段降格の後大関復帰→横綱昇進、貴景勝は関脇1場所で復帰だが5人は平幕や十両で土俵に上がっている。2場所目に角番の大関も5人(豪栄道は3場所目)、これでは大関の威厳も凋落する一方だろう。


おもに1970年代~80年代半ばの大関である201代から220代の大関(清國から北尾)をみると横綱昇進が8人、大関の地位で引退が8人、平幕や十両で引退が4人であった。横綱昇進も多いが大関のまま引退が多くある意味引き際がしっかりしていた。昭和52夏に大受が初めて大関経験者で十両の土俵に上がったがこの10年の大関は3人が十両力士を経験している。

ちなみに戦前戦後の50年代の大関は横綱昇進も多い一方で陥落大関も多く、名寄岩、汐ノ海、三根山、大内山、松登、若羽黒が該当する。ただし名寄岩や三根山は大関陥落後も奮闘し昇進以前よりも評価がある。大内山も栃錦を破り元大関が金星獲得の第1号となった。


今場所も霧島が初日休場で途中より新大関の土俵に上がったが全くそのムードがなかった。場所自体混乱し連日上位力士が変わるようではやむを得ないが、来場所は2大関とも陥落の可能性もある。大関の誕生ばかり祝福しても昇進がピークとなっている。これでは大関を特別な地位とするのも厳しいだろう。


若元春、大栄翔の2関脇は雲行きが怪しい。協会は大関の昇進基準は見直すつもりがないようだが、大関昇進で力を使いガス欠のように不調に陥るパターンが多い。もうこれまでより大関を別格とする意味はないのではないか。大正期には編成を見るに大関を補充として考えていた節がみられる。在位中の特権の見直しなどを考える時かもしれない。

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