横綱不在を考える
中日。2大関が勝利したが豊昇龍がまさかの正代に完敗。
豊昇龍は突きまくって正代を圧倒したが、正代があてがって凌ぎ、豊昇龍が一瞬引いたところ正代に攻勢逆転され、手繰ったものの押し倒されて2敗。
全勝が金峰山、1敗が千代翔馬、尊富士。豊昇龍は4番手となる。仮に優勝とはいえ中日で2敗の力士が横綱というのは如何だろうか。そもそも豊昇龍は先場所次点なだけに一歩弱いところがある。見送りが妥当と思えるが喉から手が出るほど横綱を待望しているかどうか。協会の意向は?
横綱不在。江戸時代からみると実質初代の谷風・小野川が横綱を授与され、小野川が寛政9年(1797)冬限りで引退した。その後文政11年(1828)春に阿武松が横綱力士として突如登場するまで、30年は横綱とされる力士は存在しない。この6代阿武松が横綱免許を受けた時、以前の5人は全員物故しており、阿武松は現在まで唯一の横綱の存命者1人という状況だった。阿武松と競った好敵手が稲妻であり、稲妻は1830年になって、上覧相撲がきっかけになり横綱を授与されている。
この間には寛政~文化には無類力士の雷電に、雷電の好敵手で会所筆頭も務めた柏戸宗五郎、文化~文政の柏戸宗五郎、玉垣額之助といった強豪がいる。雷電を別格としても明治大正期の興行優先で昇進した横綱よりも実績としては上といえる。
もっとも横綱をめぐる話はこの間にもあった。文政6年(1823年)、五条家より柏戸、玉垣額之助の2人が横綱を授与されている。しかし相撲の家元である吉田司家に遠慮してか土俵入りは行っていない。非公式の横綱といえる。これは長く眠っていた「横綱」という制度に五条家が目をつけ、権威を得ようという動きの一つであったようだ。
雷電初めとして横綱授与とならなかった理由は定かではない。しかし吉田司家が文政10年に江戸相撲方取締を任ぜられたのは、京都五条家の権威を得ようとするものに危機を覚えてが発端とされる。五条家と吉田司家の間で相撲の家元争いが勃発したことが、横綱という一代限りのアトラクションの復活に至ったというのが有力ではあるようだ。
照ノ富士の引退で昭和以降で初となった記録がある。昇進から引退まで終始1人横綱。 番付上では新横綱の2021秋に白鵬が在位していたが休場で場所後に引退。昇進当初より1人横綱であったのは、江戸や明治には阿武松、雲龍、境川、梅ヶ谷、西ノ海、小錦、大砲、昭和に玉錦、曙がいる。しかし明治期までは横綱は~代の通り現役では1人というのが原則であった。昭和以降の2人も現役中に次代の横綱が昇進している。この点でも現在の角界の異例さが伺える。
横綱空位は昭和以降で2度あるが、昭和6夏~7年夏の後玉錦、平成4夏~5年初は曙。いずれも次代を背負うにふさわしい力士が横綱となっている。
翻って現在を見ると
正直今の大関陣にはそれを感じない。よくても鶴竜レベル、照ノ富士並みの実績も作れるか。年齢的にも今後2~3年程がピークではないか。豊昇龍が綱渡りで綱取りを成就するのか…
優勝ラインは3敗まで落ちる可能性は高いとみる。巴戦の決定戦も大いにあるだろう。
予想すると
トップを走る力士が優勝どころか幕内上位も少なく、どうなるか計れないところ。3敗のノーマーク力士が急浮上の可能性もある。意外と黒星先行の琴櫻がキーマンになるかもしれない。