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大相撲~節目の力士たち~145年・135年・130年
あけましておめでとうございます。2025年。昭和100年にあたる。1925年にラジオ放送開始で放送100年でもある。大相撲で節目の力士を見ると
生誕180年 初代梅ヶ谷
生誕 145年 西ノ海2
生誕135年 西ノ海3
生誕130年 宮城山
生誕105年 吉葉山
生誕100年 栃錦・出羽錦
生誕90年 北葉山
生誕85年 大鵬・琴櫻
生誕70年 千代の富士・朝潮
生誕65年 旭富士
このあたりまで。主な力士もをみた。60年、55年、50年はこれといっていない。
存命は旭富士だけで。45年に朝青龍。
栃錦、大鵬、千代の富士と名を残す横綱が入っている。15年違いだが栃錦・大鵬はただ1度とはいえ対戦在り、大鵬・千代の富士は現役すら5場所(45秋~46夏)しか重なっていない。力士の現役寿命の差が見える。出羽錦も大鵬とは熱戦多し。大鵬出る所逆転の下手投げやきめ出しと老巧らしいもの。
栃錦・大鵬が対戦の昭和35春から千代の富士初土俵の昭和45秋をみると、番付削減なども重なり力士の勢力図は大きく変化。幕内に在り続けるのは大鵬のみ。その前年まで現役も柏戸、明武谷、青ノ里、若ノ国、若秩父程度。新入幕の花田(栃ノ海)がいるが10年後貴ノ花の花田が小結に。年齢は35歳以上が8人だが、10年後はゼロ、やっと30歳が大鵬を筆頭に4人。栃若時代は幕内枚数の多さもあるが、伸び盛りの時期に召集された力士も多く、そのため全盛期が大きくずれた。高齢力士も多い時代だった。
105年の吉葉山。横綱としての実績はB級とはいえ人気は栃若を凌ぐものだった。悲劇が重なったという贔屓面になる要素が多かった。
梅ヶ谷は近代最初の大横綱といっていいが、2代3代の西ノ海、宮城山は実績として中の下。
2代目西ノ海は史上最高齢で初優勝から昇進、5場所の在位で皆勤1場所、3代目は優勝なく昇進し、のちに運も重なって優勝。しかし以降はほとんど休場で、引退まで8場所連続休場。横綱として殆ど実績なしといっていい。2代目の場合、梅ヶ谷2の引退で東方の横綱が不在に、3代目は大錦の引退で横綱が栃木山のみとなるという当時の事情がうかがえる。
もっとも昇進前後の場所にどちらも疑惑の相撲。3代目は大正12春千秋楽の栃木山戦。無敵の栃木山に引き分け。立って栃木右はず押しで出ると、源氏山堪えて押し返し、 栃木山は左四つで頭をつける格好。源氏山は左は筈、右上手で動かずそのまま水入り。 再開後もこれといって動きなく引き分けという相撲。
この相撲で横綱論が巻き起こったのだが、どうも八百長を疑う。後年ある記者が尋ねた際、歯切れは悪く否定もしなかった。栃木山は引き分けでも優勝は確定ということで華を持たせるために譲ったのではという話。はず押しの栃木山にしては戦闘意欲の欠ける相撲である。
2代目は明治45春の千秋楽の太刀山戦。はたき込んで破り太刀山の明治42夏から続く連勝を43でストップ。太刀山が突いて出るところを西ノ海は右へ変わって引き落とす相撲だったとか。あっさりしすぎて怪しさが。当人は負けてやったという趣旨の話を。
以降大正5夏の栃木山まで黒星はなし。それだけにこの黒星の意味は大きい。
大正5春の千秋楽には鳳と引き分けたが、これも横綱昇進への箔付けではないかとも… さらに西ノ海が敗れると、新入幕の源氏山(3代目西ノ海)が優勝という事態。協会は何とか回避したかったはず。裏では色々な思惑がありそうだ。
西ノ海2・3ともに体躯は立派だが小心という評価。3代目は小便相撲という不名誉なあだ名まで。
イロイロ脱線してしまった。
翔猿がテレビの特番に出演。ハンマー投げ日本一との壁押し力比べであったがあえなく敗れた。翔猿はそもそも力でねじ伏せるタイプではなく飛んだり跳ねたり、頭を下げて凌ぐ相撲。小兵ブームで人気はあるが正攻法のそれではなし。力士の代表として出るには不甲斐ないものだった。キャスティングしたテレビ局も翔猿の相撲を全然分かってないのでは。テレビの適当さも見えてしまった。