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木村玉治郎の辞職に考える

大相撲のゴタゴタが止まらない。三役格行司の木村玉治郎が突然辞職。師匠立浪が慰留したが決意が固かったという。

定年まで2年。なぜこのタイミングなのか。

番付編成会議の水曜に裏方の昇格があった。主なものは式守伊之助の庄之助昇進。実に9年ぶりの木村庄之助復活とあって少々大きく取り上げられていた。しかしさらに驚いたのは三役呼出次郎の立呼出昇格。それに合わせて克之も副立呼出へ昇進した。

次郎は御存じの通り呼び上げが上手いと言えない。人柄と土俵築きでは評価があるようだが、拓郎が立呼出昇格→辞職後も後任として昇格しないのは技量の問題が多分に大きかったはずだ。秀男定年時には雑誌で呼出の特集もあり、分業制も考えるべきではという提言までされていた。遠回しに次郎(他の呼出も上手いと言えないが)の批判をしているようにも見えた。

さらに伊之助。こちらも首席行司となって6年近く、伊之助昇格から5年になるが差し違え、転倒、転落など裁きが不安定で立行司としての威厳は低い。やはり技量の問題からか昇格を見送られていたとみる。協会も庄之助を必要としていないという説すらあった。

伊之助も次郎も定年が近い。2024年9月、25年1月とほぼ1年後だ。それに対する温情なのか。

それはさておき式守伊之助の後任が不在で木村寿之介の三役格昇格による5人三役体制が不自然だった。順当であれば伊之助には玉治郎が昇格するのが普通だろう。呼出は次郎に合わせ克之が昇格している。なぜなのか。疑問に思ったところである。

木村玉治郎は1976年入門、93年十両、06年幕内、14年三役格。47年の経験があるベテランである。玉治郎は27代木村庄之助の三役時代の土俵に憧れて入門という。そのためか土俵でもそっくりな掛け声と所作を継承。現在では異色となった軍配を担ぐような構えや左手を出す所作も新鮮に見える。しかし高齢ながら健在だった師匠は6月に97歳で亡くなり立行司姿を見せることができなかった。その際、玉治郎は私も定年が近いのでと師匠を偲んでいた。

やはり考えられるのは伊之助昇格の見送りではないか。差し違えが多いといった事由もなく次席である玉治郎の据え置きは普通ではない人事。この数年伊之助が転落といった不始末が度々あり、その後の代行をしたこともあった。不安定な伊之助に代わり上位の土俵は玉治郎が締めていた。にもかかわらず技量不足が明らかな伊之助が昇進し自身は変わらずでは居た堪れない。処遇に対する日本相撲協会への抗議の意味も大きいともいえる。

思うに師匠が亡くなったことも辞職の決断を後押ししたのではないか。毎場所前と後は電話で近況報告していたようだ。奇しくも庄之助昇格が師匠他界の直後となった。健在ならば現役続行であったと考えてしまう。当然辞職となればなぜなのか師匠にも質されるはずだ。玉治郎は独身で家族の心配もいらない。

師匠27代庄之助(熊谷の親方)も三役時代行司ストライキの当事者であった。1971年、協会が技量が不足する行司の引退勧告、土俵態度などの審査、木村庄之助の担当を2番とするといった改革を打ち出したところ、成人以上の行司が全員辞表を提出するなど混乱し撤回。当時の25代庄之助が差し違えから出場停止、その後辞職など禍根を残した。その後熊谷の親方は48歳での伊之助、51歳での庄之助昇格。この大出世は協会に対し従順であったのが大きいともうわさがあった。その裏で割を食った行司もいる。そのうちの一人であった三役格の式守伊三郎は38歳での三役格昇格ながら2度あった立行司昇格の機会はいずれも下位行司に抜かれ三役格を24年務め現役で亡くなる。熊谷の親方は年功序列の場合伊之助昇進は1984年、庄之助は5場所ほどだった。

実は玉治郎の昇格は確実にないという情報も以前よりあった。このあたり行司会と協会に微妙な軋轢があり、それが現在も尾を引いてるように思う。不祥事で辞職の先代(40代)の伊之助も協会との関係が様々言われた。協会に近い行司と距離がある行司の2派がいるという話もある。玉治郎の場合立浪部屋所属だが、過去立浪は継承や金銭問題でトラブルが続き部屋も衰退していた。これも意外と影を落としているのかもしれない。

なにはともかく残念なことになった。今後庄之助や次郎はじめ行司呼出陣も大過なく全うできるか。見守りたい。




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