古雑誌の読売大相撲35年6月号より。お馴染みの座談会から。彦山光三、天竜、玉の海、東富士に司会は江馬氏。この場所は栃錦が引退、大鵬柏戸らの台頭と時代の転換を強く意識しなければならない時であった。大正世代の退場ということも意味している。
この場所優勝したのは若三杉。当時188センチ、122キロで大鵬柏戸と三羽ガラスと言われるほどの大型新進力士だった。のち大豪と改名し関脇まで昇進するが、わきの甘さや淡白さが欠点となり大関とはならず引退する。若三杉時代の方が全盛ともいえる。
ちなみに大鵬柏戸ともこの時まだ優勝は経験していない。大鵬はこの3場所後の35年九州、柏戸はその次の36初であった。
冒頭江馬氏は「22歳の若三杉が平幕優勝を遂げ、いよいよ時代が転換するという感じが大きく打ち出されてきました」と明快に纏めている。
しかし若三杉の優勝で盛り上がったかといえばそうでもなかったようで
この場所は栃錦の引退でもちきりだったようだ。それもそうで、22夏の入幕から13年、30初から横綱を5年、千変万化の相撲で時代を背負ってきた。栃錦に変わる力士もそう簡単に現れる訳もなく、そうなるのも当然といえる。
以下各氏の評価を見ると
時代の過渡期だけに微妙な評価となっている。結局優勝すべき力士がこけたのだろう。
実は若三杉の22歳という年齢。最若年優勝だったらしい。
ところがこのあとこれを上回る力士が出た。大鵬である。大鵬が20で優勝したため若三杉は完全に陰に隠れたのだ。
若三杉について各氏は
べた褒めである。わきの甘さはこの頃より指摘されているが結局直らなかった。大鵬柏戸に比する体躯だけに否が応でも期待は大きい。
勝因についても議論は活発で
横綱大関も近いといった口ぶりがほとんどである。関脇で終わり優勝もこの時1度とはされが思ったか。
若秩父の名もチラホラ挙がったが、この場所若秩父は13勝を挙げているが三賞はなかった。非常に珍しいこと。こんなところにも栃錦ショックがあるように思う。
座談会は他力士や今後の相撲界の行方について進んでいくのだが。つづく。