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九州場所も後半へ・土俵云々


九州場所もこれといった山もなく後半へ。1敗が琴櫻豊昇龍の2大関に、隆の勝阿武剋。いずれも直接対決はなく、9日目に4人勝ち越しの可能性がある。

大の里は翔猿を突き出し。はずみで花道まで吹っ飛ぶほどで、突き押しの驚異を見せた。

三役=平幕上位は停滞気味なのもどこか締まらない。霧島は三役陥落が見えてきた。


御嶽海は今日も出場したが力の入らない土俵。相手もやりにくい。 地方で待つ客もいるとは言うが… 舞の海が「休場すべき」とバッサリ。


御嶽海にしては珍しかった?

土俵から落ちて強打しただけとはいえ、土俵の高さは意外とある。場合によっては落ちただけで大けがともなるのだ。御嶽海は土俵際あっさりが多い印象。

土俵の高さ

正直この土俵があれほど高い理由は必要なのか。平面に近くてもいいのではないか。色々見ると

相馬基著「相撲五十年」には

相撲が興行化したため、観客の見よいよう見物席より一段と高くなったのは当然の成り行きだった。土を築き上げた高さは回向院の小屋掛け時代は3尺5,6寸あったが、相撲場がすり鉢状のように見物席が高くなるのに伴い、土俵の高さは1尺数寸の低さになった。あまり高いと見物には不便だからである。

回向院時代の写真を見ると客席は平面に近い。後ろの方の客は立つこともあったようだ。国技館とはそもそも規模が違う。

「近世後期における江戸庶民の勧進相撲興行見物の実際」という論文によると、回向院相撲場の定員は1万人、桟敷が2000人ほどで、土間席に8000~9000人が観戦していたという。本当にそれほどの規模だったか疑問にも思うが。

なんでもわかる相撲百科には

土俵の高さは約1尺8寸の台形に土を盛り上げる。戦前は2尺3寸(69cm)あったが、土俵が高いと土俵に近い観客は見にくいし、土俵下へ力士の転落した際にケガの少ないようにと低くしたのである。

高さの基準は観客の見やすさが優先され、力士が転落して負傷というのはあまり考慮されないようだ。

土俵へ上がるのも意外と難しいもの。大統領復帰の決まったトランプも大相撲観戦での表彰式の際、特殊な台を設置していた。素人には昇るのも簡単と行かない… それだけ高さがあるのだ。

かねがね土俵下にマットなどの設置といわれてきたが、具体的な動きはない。怪我はすべて力士の責任という限り何ら改善なし。ようやく救急救命士が常駐したというところではまだまだか。アマチュア相撲の土俵は低い。

どこまで体重が増える

増量化も転落によるけがを誘発する原因。秋場所前の計測で、平均161・8キロと発表。比較的軽量に見える豊昇龍でも150キロだ。幕内で170キロ以上の力士は13人。

事実上廃刊となった大相撲ジャーナルの最終号にも、相撲界への提言として

大型化したとよく言われるが、実際には重量化に拍車がかかっただけで、稽古量が減少しているのだから本当に必要な体重増か疑わしい。

昭和30~40年代の相撲界は大鵬柏戸に始まり、他スポーツより体格面で優位な力士が多かったことを引き合いに出してである。

約60年前の昭和40年初の幕内力士を見ると、身長180センチ以上は15人ほどいた。当時の20歳男子の平均身長が164センチということからみても、フィジカル面でのエリート集団だったと納得できる。

今年の新弟子の身長体重を見ると、180センチ以上は少なく一方体重150キロほどというのは以前より多い。身長だけは減少し、体重のみ増加というのがよくわかる。

かつての大乃国が除脂肪体重が120キロほどとも評されたが、現在の力士はいかほどか。平均161キロも最近増えた小兵力士が幾らか数字を下げているはずだ。

引退した貴景勝もけがつづきで大関昇進直後より満身創痍であった。175センチを切る身長で体重は最高186キロ。どうみても異常肥満というレベル。28歳での早い引退とはいえ、体はボロボロであった。

肥満は骨密度は上げるという話もあるが、関節や骨の負担が重くなる。かつてのような魚中心の食から肉へと変化し、現代人はそもそもの骨格が弱くなってるともいわれる。相撲は毎日が交通事故という評まであるのだ。どの力士もけがと隣り合わせなのか。

一人の力士のケガからでも色々考えてしまう。



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