一門は必要なのか?
相撲界は未だに旧態依然と言われる。その大きな要因は一門制と年寄名跡制ではないか。明治憲法下で存在した家制度の概念に近い。もともと江戸時代までは名跡変更自体が稀なことで、一度襲名した名跡を生涯貫くのが通常だった。
現在こそ一門制度は弱くなってるが理事選の時のみ拘束する面倒なものとなっている。貴乃花も一門加入強制で追い出されたようなものであろう。
読売大相撲47年1月号は改革に荒れた相撲協会に玉の海が5頁にわたって直言している。
未だに役員選挙では一門による票の分配が行われ個人の自由はない。それに一石を投じたのが貴乃花だが、結局種々の問題から協会を去った。玉の海のいう弊害は現在もおなじなのだ。かつては一門外の力士とはあまり交流しないものだったようだ。
かつては出羽海力士の優遇がいろいろ騒動となった。昭和25春は
三役の空きは羽嶋山の1枠のみ。昇格は出羽錦か神風かのどちらかなのは明白。内容を見ると出羽錦は東富士羽黒山からの不戦勝が2つあり、神風はその両者に勝利しており不戦勝はない。これでは神風有利かと思われたが翌場所の小結は出羽錦で神風は西の筆頭だった。
現在の基本2枠の時代なら涙を呑むのもやむを得ないが当時は定員が実質なく4小結の場所もあった。にもかかわらず留め置かれた神風は腐ったか5連敗から休場で引退。年寄片男波となったがこれもすぐ廃業。奇しくも玉の海の弟子であった。玉の海も戦犯容疑で逮捕され協会から冷遇されるなどののち廃業。奇しくも協会への反骨心が名解説者を生み出すことになった。
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