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闘魂の大関

元関脇の勢が引退相撲を行った。得意の演歌で盛り上がったようだ。春日山を襲名してるが春日山といえば古い人には元大関名寄岩を思い出すのではないか。双葉山の弟弟子で入門時から師匠の考案した四股名を断るなどエピソード満載。双葉山に花相撲で本気を出し勝利などどこか不器用で一途な面が目立つ。

大関ではあるが実は大関時代は苦難の連続で目立った成績を挙げていない。勝率は5割を切り大関の地位で唯一の全敗(11敗)も経験している。この人は昇進前とむしろ陥落後が全盛だったのではないか。昇進前は怒り金時と呼ばれ廻しが取れないと肉を掴んで吊り上げようとする強引な相撲が売りだった。また弟弟子の羽黒山に対する猛烈な敵愾心もその相撲に磨きがかかったのは想像できる。実際各段1場所突破で昇進の羽黒山には三役昇進まで先んじていた。

陥落後は糖尿病・胃潰瘍・腎臓・関節炎などに悩まされ、自らインシュリンを打ちながらの土俵だった。これで終わりならば並みの力士だがここからの奮闘が名寄岩の価値を高めた。1950年5月場所では西前頭14枚目の地位で9勝6敗の成績で敢闘賞を受賞。1952年9月場所では千代の山から金星で再び敢闘賞受賞。1954年5月場所千秋楽には、全力士の鑑として日本相撲協会から特別表彰を受けている。涙の敢闘賞といわれるのはこの晩年の活躍である。


生誕100年の際の冊子。郷里に愛されてる力士であった。

大関止まりでこれほど語り草になる力士はいないだろう。特に陥落後の土俵で映画にまでなる力士は絶後では。大関陥落後に活躍した力士は魁傑、雅山などが特筆されるが名寄岩ほどの劇的さはない。雅山は大関復帰があれば「新生雅山」として記憶されただろうが… 40歳まで幕内力士を務めたのは60年も記録として残った。
記録より記憶に残る力士はどの時代もいるが、なまじ横綱よりも相撲史に名を残している。記録ばかりに執着するだけが相撲ではないと改めて感じる。



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