武蔵丸の相撲放談
場所後に必ずある武蔵川親方の講評。最近のこの手の記事では珍しく忌憚なく言い放題というところがありなんとも良い。批判が多くなるとはいえそれ程後味が悪くないのは、ずばり要点をついている、良いと思う力士に対しては誉め倒していることだろうか。
今場所をみると
横綱大関の成績に関しては厳しい。武蔵丸自身大関として負け越しもなく横綱昇進しただけに実感がある。今の時代10年大関自体夢物語のようになってしまった。10年大関はそれで単なる長たらしいとも思ったのだが。今後出るか怪しいものだ。
琴桜に関しては「いまいちピンと来なかった。攻めようとしていても体足が付いてきてないんだ。抑え込んでが多かった」という。たしかに体力勝ちが多く見られた。もともと琴櫻は相撲が面白いタイプではないが…
阿炎に関しては千秋楽まで面白くしてくれたと好評。確かに終盤の阿炎は曲者ぶりを発揮していた。
三賞に関して
平戸海は地味ながら大の里を破っている。ある意味一気に下から出ていく大の里の苦手とする相撲を取った。最近は優勝争いに加わる力士が多すぎで、地味で割を食う力士が出ている。平戸海はその一人ではないか。
逆に名前が売れた湘南乃海には
結局9勝止まり。白星の相手も半数は負け越し力士で偶々前半に不調力士と当たり星が挙がったというのが大きい。上位では全くだった。終盤は土俵態度も乱れていたが、大型力士にありがちで動きが大味である。
高安にはプレッシャーのない場所は強いとズバリ。ただ相手に合わせて相撲を取っているとも。これぞ高安という相撲がないのはそのためか。腰痛が慢性的なのも腰高で半身で構えて機を伺うのもあるだろう。
大相撲全体としては『相手に合わすのではなく、「自分の形に持ってゆく」「自分の相撲を取り切る」。何も器用なことを、無駄なことをしなくていい。相撲の基本中の基本である「当たって押す」。今一度、ここを見直して』。
今は型というのも聞かない。どこか自分の相撲がなく何となく押す、出る、引く、組むになっている。特に前半は大味でもっさりした相撲が多い。武蔵丸は突き押しから右差し一本の相撲にチェンジして横綱をつかんだ。稽古で自分の得意を磨くという仕事をどれほどやっているのか。
最後に、番付関係なく「一番頑張った人が優勝」。これは今の角界を端的に表している。もはや15日頑張れるかどうかにかかるのだろう。休場の多さを見ても痛感する。番付制度はもう相撲界に合わない。