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OちゃんとOちゃんの母ちゃんとその母ちゃんと(前編)

 私は2歳のOちゃんと、ナニーのピジュンとバンコクで3人で暮らしている。

 まだピジュンに出会う前。
バンコクには最初、自分の母親についてきてもらった。
まだ入国後、2週間隔離をやっていた頃のこと。


「70代のお母様をタイに連れて行くなんて……」

って、いろんなニュアンスで言われた気がする。
言葉も分からないし、慣れた土地ではないし。
それに母は今も現役ゴリゴリで仕事をしていている。仕事を休むのにも限界がある。

 でも私の母は、ちょっとユニークなものだから、「行きたい」!と言ってくれて……

大の大大冒険に巻き込んでしまった……。

実際は…………

思った以上に面倒で、しんどかった😑

○辛いもの食べられない
→子供用に日本から持ってきた食事をほとんど食べる
「わぁ完食すごーい!ってオイオイ😱!」みたいなやりとり何回もした

○暑い
→あきらかにハッピーじゃなさそう

○言葉通じない
→一人ではでかけられない

○そもそも新型コロナで外のお店がやっていなかった
→アクティブなためにストレス限界値

○手帳を日本のホテルに忘れた
→日付が分からず頭がおかしくなる🌊⚡☄!と発狂

隔離が開けたら保育園に行く予定が、新型コロナで保育園は閉園していた。
(実にこれが5カ月続いた……)

 なんというか、私の母に、私の娘を育てる義務はないわけで。その手伝いをしてもらう中、「ちょっと違うな~」と思っても言えなかった。
伝えたら多分、私たち史上、1、2位を争うような大げんかになる。
うまく伝えるにはどうすればいいわけ?
なんて思いながら、ずっともんもんと過ごしていた。

その一方で強く思ったこと。
娘を見てくれている人がいるから、自分が仕事ができているということ。
自分の仕事は決して、自分の能力だけでは成り立っていないということ。

だった。

つづく

※画像はOちゃんの母ちゃんの母ちゃんが描いたバイキンマン(色々、大丈夫かね😂)

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