ひとことはなし110

日付なし
おはようございます。では始めさせて頂きます。

今僕は、大教会にて神殿奉仕当番を勤めさせて頂いています。
それで思い出したことです。

2年前の今日。僕は大教会神殿奉仕当番中に出直すところでした。
というのも、本来なら今の時期は、子供おぢばがえり期間中です。
大教会も我々のような当番者以外は全員出払っている状態。

2年前の神殿当番の先生は僕を含めて3名。
で、日中2人の先生は「3時の神殿掃除迄に帰るから」と、大教会から離れていました。
ですから大教会内にいるのは僕1人。

今は倒された旧教職舎の部屋で、参拝者が来ないか外も見ながら過ごしていました。

夏の暑い盛り。喉が渇いたので食堂へ行き冷たいコーヒー を作り、再び元の場所へ帰りました。

コーヒーを最後まで飲み干したのですが、氷が勿体ないので食べました。
で、最後小さい氷がコップの角にへばりついていたので、コップを口につけ底を持ち上げ勢いよく底を叩いたのです。

すると、角にへばりついていた小さな氷が僕の口に入ったのはいいのですが、口内を通り越し、器官にスポッ、と綺麗に入りました。
そこからです。

器官に入った氷が気道を埋めてしまった形になり息ができなくなりました。
息を吸えない、はけない。という状態。
もうパニック。

だんだん気が遠のきはじめ、思いました。
「俺も終わりだな」と。

自然に前屈みになりました。
するとほんの少しですが、ゆっくりと息が吸えたのです。
ゆっくりと息を吸い込み、思いっきり息を吹き出すと、詰まっていた氷が、勢いよく外へ飛び出ました。その瞬間たすかりました。

その時思いました。
「俺は大教会の神殿当番中に出直すところだった。恐らく先に述べた2名の先生方は3時頃大教会に帰られて、そこに僕が倒れて死んでいたら、どれだけご迷惑をおかけしたろうか」と。

では、なぜこういう事が起こってくるのか。
この年は、僕が自分自身から信仰を始めて、丁度30年目の節目の年だったのです。

30年目の節は、越すに越せない大節。と
前々から教えて貰っていましたが、この年はこの事だけに限らず、本当に大変な年でした。
一々ここで話をすると、大変長くなるのでやめますが、30年目の節目は越すに越せない大節であることは、身を持って体験しました。

その時思いましたね。誰しもいずれ30年目の節目を迎える。
それまでに、通りきれるだけの理を作っておく必要があると。

僕の見たところ、30年目の方々は出直しが多いですね。
出直しがなければ、それに匹敵するくらいの大きな事情を通るか。
の二つに一つです。
僕の場合は事情でした。

こういう話をすると、何か脅しているかのように受け取る方もあるかもしれませんが、脅しでもなんでもなく、事実として成ってくるという話です。

社会でも、30年目に倒産したり、大きな事情を持ったりしていますね。



では、今日も勇んでお通りください。拝

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