ひとことはなし118

2020 8  13
おはようございます。ではお願いします。

昨日お話した事で思い出した事ですが、僕は30歳で仕事を辞めて天理教一本になりました。
その年の11月23日後期講習受講の為大教会にて面接
と書きましたが、この面接の出来事を話ますね。

当時、岡山大教会の布教部長だったのかどうか知りませんが、A分教会という教会が岡山の部内にあり、そこの前会長様が僕の面接担当でした。

開口一番。
「あんたが会長になる事、大教会長様は許してんのか」でした。
「知らんがな」と内心は思う。

この先生は女性でしたが、一代でAという教会を御守護頂いた、正に叩き上げ。

岡山大教会では、M分教会と肩を並べて当時は勢い盛んな教会でした。
おたすけ一条。凄い先生でしたね。
ただ、当時はそういう事は知りません。ただ、
「えらい気迫のある婆さんやな」位に思っていました。

先の言葉の次に、こうお話をして下さいました。
「あんた。お婆ちゃんを大切にしろよ。
 三代会長さんの事や。あんたの教会はなあ、あの方がおったからこそ、
 今日の姿になったんや。忘れるなよ。
 お婆ちゃんを大切にせないかんぞ」
と。こういう話し方でしたね。

遠慮、気兼ねはありません。
仕込む事は仕込むというスタイル。
昔はこういう先生がゴロゴロおられました。
なのでお道が盛んでした。

当時の僕にはチンプンカンプン。
「俺が講習行くのと何の関係があるんじゃ。
 行きたくて行く訳ちゃうんじゃ」
と思って聞いていました。

僕は短気なので、当時はそういう感じでした。申し訳ない。

今思うと、本当に大切な事を教えてくださっていたのだと分かりますね。

今日も話は脱線しますが、この先生にはその後何かにつけて呼び出され仕込まれました。
僕が大教会にいると必ず呼び出しです。
時には隠れていた時もありますが、住込みさんが、
「つらやまのかいちょうさーん」
と大声で叫びながら一部屋づつ探すので仕方なく出て行くと、
「A分教会の前会長さんがお呼びです」と。

神殿にてお仕込みが始まります。
「何で毎回こうなるんや」とブチブチ思いながら拝聴。

因みに、お仕込みとはあまり馴染みがない言葉ですね。
分かりやすく説明すると決して面白い事ではありません。
イメージとしては叱られるに似ています。
ただ、叱られるという意味でもないです。

今は理由が分かります。なぜ僕が仕込まれたのか。
ですが、当時は全く意味不明。

神殿に座ると同時に、
「ええか、よく聞けよ」
と始まります。
数々のお仕込みを頂きましたが、その中で記憶に止まったのは、

「上級をたすけろよ」
というお話。その当時、上級はふしん金の支払いの最中。
「お前ところがやらないとどうする」
と。そこで初めて連山の役割を知りました。

「お母さんを喜ばせてやれよ。お前のお母さんは苦労したで。
 お母さんを喜ばせたら、お前の望みが叶うのや。覚えとけ。
 ああなりたい、こうなりたい、という思いがあるやろ。思うのは自由や。
 でもな、成ってこんやろ。それはな、理がないんや。神様はな、
 思い千、万ありても、理一つなくばなんともなろうまい。と仰せや。
 ええか、お母さんを大事にせえよ」
と。有難いお仕込みをくださいました。

今なら分かります。お仕込み頂きありがとうございましたと。

その後は、先生が大教会に参拝に来られるのを待つようになりました。
心境の変化です。

晩年は、お仕込みはなく、
「お前頑張っているな」
という労いの言葉を頂くようになりました。勿体ないお言葉ですね。
大した事は今もできないのに。

また本線から脱線してしまいました。長いので今日はここまでです。

今日は、お仕込みは頂いた方が後々には良い。
ご苦労様です。という労いしか言われない間はお客様扱い。
なので本気で仕込んでは貰えませんね。こちら次第です。

今日もお付き合い頂きありがとうございました。拝
 

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タロ芋座右衛門
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