夜明けのプラットホーム
かなも私も4月から一緒に暮らせることを信じて、耐えてきた。
ところが、いざかなが東京に移ろうとすると、親が反対し始めた。
かなの父親は、ふたりが電話で話しているのに割り込んできた。
私がこういう立場で「(娘を)くれというのか」と、電話で責めたててきた。
私は売り言葉に買い言葉で「(かなを)くれとはいっていない。」と突っぱねてしまった。
これは、自分は「くれ」という立場ではなく、かなが自分の意志で来てくれると言いたかったが、言葉足らずだった。
それを聞いた、父親はかなに対して、「おまえは押しかけ女房か」と言って、なじった。
かなは次の日に泣きながら電話かけてきて、私の「くれとはいっていない」という言葉を責めてきた。
彼女には謝ったが、私の気持ちは上手く伝わらず、感情的なままだった。
かなとも父親とも仲違いしてしまい、どうにもならない気持ちになり、別れることも仕方ないと思うようになった。
私はかなへの思いをいっそ断ち切るために、青春18切符を使って、ひとりで四国巡りの旅に出た。
予讃線の下灘駅から見た海や、予土線の四万十川、土讃線の大歩危小歩危の春めいた美しい景色に心は癒やされていった。
そして、ひとりで旅をすると、かなと一緒に旅をしていた頃を思い出して、心は揺れ動いていた。
旅の最後に、電話をしてかなに気持ちを伝えて、東京に出てきて欲しいとお願いした。
かなは私がそう言う前から東京に出てくる気持ちではいたが、私の言葉で、固く決心した。
以前は、かなが教師になることが前提だったので、近くで別々に住むということを考えていた。
しかし、採用試験に落ちた彼女に、職が直ぐには見つかりそうになかった。
そこで、一緒に暮らすとことにして、新しいアパートを探していた。
西武新宿線の新井薬師前駅の近くで、風呂は無かったが、いちおう2DKの安いアパートを見つけて、引っ越しを済ませた。
当時の私の日記を、これまできちっと読めていなかった。
いや、読むことを避けていた。
当時の日記には、かなへの苛立ちの気持ちが書いてあった。
彼女が家を出るのをためらっているように感じたからだ。
なかなか家を出る決心のつかない彼女を、私の方が踏ん切りをつけさせたことが書いてあった。
かなの当時の手紙を読み返すと、かなはためらっていたのではない。
二度と帰らないつもりで、身辺整理をしようとしていたのだった。
だから、かなを気持ちの上で、追い込んでしまったのは私だったのだ。
東京へ出てくる限りは、きちっと結婚しようと、婚姻届も取ってきて、住民票も移した。
駆け落ちまでして結婚する理由はもう一つあった。
1年次は奨学金は親の収入額で無理だったので、バイトに明け暮れしていた。
親から戸籍を抜いて夫婦として独立したことで、奨学金や授業料減免が受けられる可能性が高まるからだ。
結婚して妻から援助をしてもらわないと、院生が続けられない苦しい旨を、X先生に訴えて事務的な申請をした。
その甲斐があって、奨学金は一年間だけ貰えるようになった。
だけど、実際支給されたのは12月で、まとめて9ヶ月分が銀行に振り込まれた。
一緒に暮らすまでは、家庭教師のバイトを数軒掛け持ちして、研究に十分時間がかけられなかった。
バイトさえしていれば生活はできたのだが、博士課程に進学するための研究をするためには、かなとの結婚に助けられたのだった。
そして、着々と準備を進め、連絡はかなの両親のいない時間帯にコレクトコールでたっぷり打ち合わせをした。
荷物も事前に送られてきていた。
約束通りに、私の誕生日の前日である4月18日に、彼女は夜行列車で東京駅にやってくることになった。
当初は、両親にきちっと話をして、別れを告げて新幹線で来る予定だった。
しかし、いくら話をしても許して貰えず、やむなく親には黙って出て来なくてはならなくなってしまった。
夜明けの東京駅のプラットホームで、あらかじめ聞いていた車両の位置で、私はかなをじっと待った
やっと、青い車体のブルートレインが、ゆっくりと近づいてきた
そして、止まった車両のドアから、重いトランクを持ったかなが、私の姿を見て、駆け降りてきた
かなは私の肩にすがって泣き崩れた。
ただ、私はかなを抱きしめるしかなく、かけてあげられる言葉も見つからなかった。
この出来事は、まるではしだのりひことクライマックスの「花嫁」であった。
花嫁は 夜汽車に乗って とついでいくの
あの人の 写真を胸に 海辺の街へ
この歌詞の行き先が「海辺の街」が「東京」になっただけだった。
リズミカルで明るいメロディーのこの曲は、今の私には、自分でギターを弾いてテンポを下げないと、歌えない。
今から思えば、私が彼女の所に迎えに行くべきだったと思う。
かなが身辺整理ができたであろう、5月の連休ころまで待って、迎えに行くべきだった。
そうすれば映画「卒業」で、花嫁と一緒に逃げ去るダスティン・ホフマンになれたのだ。
そういう意味では、「花嫁」の歌詞の「写真を胸」に夜汽車に乗らねばならないことは、本当は優しさに欠ける恋人が隠されていた。
今までずっと、私はそのことを気づかずにいた。
優しさに欠ける傲慢な男でしかなかったのだ。
こんな男でも、信じる決心をして、親を捨てて私の元に来てくれたかなに、今でも心の中で謝りつづけている。