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慈しみに抱きしめられて

一昨年、幼い頃、私が慕っていたいとこの弥生(仮名)姉さんが亡くなった。
私は亡くなる歳まで、弥生姉さんのことをやっちゃんと呼び続けていた。
やっちゃんは、私よりも5歳上で、亡くなったときは70歳手前だった。
突然、心筋梗塞で倒れてそのまま逝ってしまった。
やっちゃんは一人娘で婿養子と共に両親と暮らしていたが、このところ、調子の悪い両親の世話に追われていたのだった。

私は幼い頃は、すぐ近くに住んでいたし、家族で遠くに引っ越した後も、やっちゃんが夏休みなどの時には本家に預けられたりして、姉弟のように過ごした。
やっちゃんは私を連れて女友達と一緒に遊んでくれた。
一番憶えているのは花いちもんめだった。
地域の子供会のバス旅行にも一緒に連れて行ってくれた。
やっちゃんの家族とうちの家族も一緒に船に乗って、金比羅さんに泊まりがけで旅行したこともあった。

すごく優くて大好きで、結婚したいと思っていた。
それは初恋と言うより、ずっと側に居たいという願望で、姉を慕う気持ちと一緒だが、いとこなので結婚が一緒にいれる方法と思ったのだと思う。
私は年子の弟がいて、いつもやきもちを焼いて手がかかったから、母には常に怒られていた。
母に求めらえれない優しさを、やっちゃんに求めていたのだと思う。が
一方、やっちゃんは一人っ子だったので、弟のように思い可愛がってくれたのだと思う。
だから、やっちゃんのいる本家に預けられていた時は、家には帰りたくなかった。
忘れられないのは、母から電話がかかって「帰ってこい」と言われた時のことだ。
私が「帰らない」というと、「もう帰ってこんで良い」と怒って母は電話を切ってしまった。
その時は、本家にいた叔母に説得され連れられて、しぶしぶ恐る恐る帰ったのを憶えている。
それくらい、自分にとってはかけがえのない人だった。

やっちゃんと楽しく過ごした想い出は沢山ある、
最後の思い出として憶えているのは、やっちゃんが二十歳の成人式の日に、お祝いに本家に行った日のことだ
幼かった頃のように、いとこだけで集まってトランプをして遊んだ。
罰の重ね手叩きで、やっちゃんの手の上に自分の手を置いた時にかすかなトキめきを感じた。
恋愛感情とは違うが、幼い頃からの慕う気持ちに女性を意識した感情だった。
しかし、その前の中学生だった頃の自分は、高校生だったやっちゃんを避けるところもあった。
バレンタインチョコをせっかく駅で渡してくれたのに、友達の前で恥ずかしがり、まともにお礼もお返しも出来なかった。
それは、やっちゃんがH高校の生徒だったこともあった。
当時のH高校はあまり評判が良くなかったからだ。
やっちゃんは勉強はあまり得意ではなかった。
その頃の自分は学力の優劣で人を選ぶ人間になってしまっていた。
しかし、成長してそういう浅はかな考えは、やがて消えて行っていたが、結婚相手と思う気持ちもすでに消えていた。

やがて私は大学へ行って地元を離れて疎遠になり、やっちゃんは結婚し、葬式や法事以外に会うことは殆どなくなった。
その一方で、私はかなと出会い愛し合うようになっていた。
かなも一人娘で、やっちゃんと同じようにとても優しい女性だった。
意識してやっちゃんと同じタイプの女性を選んだのではないのだが、心の奥で追い求めていたのだろうと思う。
かなといる時に、やっちゃんのことを思い起こすことは殆ど無かった。
ただ、かなの寝顔を見たときに、やっちゃんに似てると思っことが何度かある。
かなは容貌的には憧れのタイプでは無かったし、趣味もや嗜好もかなり違っていた。
考えてみれば、やっちゃんも美人かどうかと言う目で見たことはなかった。
それと同じように、かなに惹かれたのは、容貌や同じ趣味などではなかった。
それは、やっちゃんに通じる深い慈しみを感じたからだったのだと、今になって改めて思える。

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