情緒不安定で引いたカードが最悪をもたらした友人の話 その2
モエの離婚から1年。
私(ヤマノ)は久しぶりにモエと会った。
バブル経済が終わりを迎える頃だった。
高校の同級生のモエとは、大学時代からたまに会って、カフェや居酒屋で互いの近況を話しあう仲だった。
ビールを何度も注ぎ足しながら、私は彼女の離婚の経緯を聞いた。
その日はモエの激励会のつもりだった。空気は重く、私はモエを励まさねば、と前のめりな感じで話を聞いた。
が、話が一段落するやいなや、彼女の目が突然、輝き出した。
「やまちゃん、私ね、彼ができたの」
と、モエがいった。
「えっっ?」
既に彼女は立ち直っていた。
─元気になってる? ホント?
既にその彼と暮らしているという。
彼は水槽のデザイナー、アクアリストという職業の人だった。
「賞も取ってるの。日本の大会で二位だったんだって」
と、モエは興奮気味にいった。
彼は水槽デザインを競う国内の大会で受賞し、アクアリストのプロとして活躍しているのだという。
作品製作やレンタル、出張製作のほか、水槽や周辺用品、飼育する生き物などの販売もしているようだった。
「部屋にね、大きい水槽が三つもあるの」
「部屋に水槽があるの!?」
「一つは3畳くらいあるんだよ。デザインだけじゃなくて造営までしてるの」
私には驚きの連続だった。
彼女は、私の中では教え子の不幸と離婚の連鎖で落ち込んでいるはずだった。
しかし既に新しい彼が? アクアリスト? 部屋にデッカイ水槽?
水槽類がある、ということは、彼女が彼の家に転がりこんだのだろう。
水槽は作品であるらしく、ほかに生き物を飼うための小さい水槽などもあるということだった。
私の脳裏に薄暗い湿っぽい部屋が浮かんだ。
青緑の照明が水に揺らめき、巨大水槽の森でモエは微笑んでいた。
しかし、それからほどなくしてバブル経済が崩壊した。
それに伴って、街角やデパート、銀行、会社、病院などで当時、よく見かけた水槽や観葉植物などが姿を消していった。
水槽や観葉植物などは、いってみれば生活の余剰品だったため、最初にリストラされたのだ。
そういったもので商売をしていたモエの彼は仕事に行き詰まっていった。
そして次第に心身に不具合をきたし始めた。
私はその頃、またモエと居酒屋で会った。
「ヤマちゃん、どうしよう。
彼が、お前の後ろに菩薩が見えるっていうの」
とモエがいった。大きな眼を見開いて怯えていた。
「菩薩? え? どういうこと?」
「夜中、電気も点けないで‥」
最初、私はモエが冗談半分でいっているのかと思った。
しかし、彼女はすがるような表情をしていた。
「モエ、大丈夫? その人‥、ノイローゼ?(当時は大抵、この言葉で括られていた)」
「この前、私の首に手をかけてきたの」
「はあっ!?」
「ヤマちゃん、こわい…。どうしたらいいと思う?」
私はモエに、彼と別れるべきだ、と提案した。常軌を逸している、と思った。ただの心身の不調には思えない。モエが寄り添って彼の再起を目指すとか、そんなこと、出来そうにない気がした。
モエに気持ちを聞いてみたが、彼女の返答は的を得なかった。
仕方ない。男女の事情はそう単純にいかない。
だけどその時、私は、
─モエ、男に甘い顔し過ぎだよ。前の旦那にだって従ってばかりで。モエにも責任がある。
と、安易に思ってしまった。
その後、モエはさらに不可解な状況に陥った。
ある夜、私の家に、モエのお母さんが泣きながら電話をかけてきた。
モエが同僚の男性と失踪したのだという。
モエのお母さんは、モエの電話帳にあるすべての連絡先に電話をかけ、二人の手掛かりを探しているのだといった。当時は携帯電話やGPSなどなく、監視カメラも少なかった。
「最後にお金を下ろしてるのが北海道なんです。モエコを知りませんか」
私は混乱した。
私の身近な人間が、失踪?
北海道? 通帳記録?
モエのお母さんは、男性の両親からひどく責めれられているといった。
男性はモエより年下で、二人して無断欠勤をしているのだという。
「モエコはそんな悪い子ですか。
相手の親子さんたちからモエコがそそのかしたんだ、といわれたんです。モエコのせいだ、モエコのせいで息子が人生を台無しにされたっていわれたんです。
そんなにモエコは悪い子ですか」
モエのお母さんは震える声になり、泣いているとわかった。
「モエちゃんはいい子です。モエちゃんは友だち思いだし、モエちゃんの性格からすると、どっちかっていうと犠牲になる側な気がします」
私は必死にそう答えた。
とにかくモエのお母さんを励ましたかった。あとは、突然の話に困惑して何を答えたらいいのかわからない、という気持ちだった。
私はモエのお母さんと話しながら、
─お母さんに訛りがないな
などと感じていた。
高校生の時に、モエから、両親は大阪の人だと聞いていた。モエも普段は訛りを感じさせなかったが、家族間では大阪弁で話すということだった。
だから私は、彼女には大阪気質があり、関西風にタイプ分けすると“ボケ”かも、と思ったことがあった。それも腕のいい。相手を立てて自身も輝く。
おまけに見た目が可愛らしかった。小柄でふっくらした手指、少しつぶれた鼻など、ホッとする感じの人だった。
一見、受け身な態度にも見えたが、芯が強く、勘がよく、寛容で、アクアリストの彼が彼女を「菩薩」と表現したのも分かる気がした。
そんな彼女が本当に年下の同僚を連れ出して失踪などするだろうか。
以前、私は、モエはモテる、と思ったことがある。だから私は、彼女が男性を大胆に誘い出すことも可能かもしれない、とは思った。
だが、彼女がそんな危険で不安定な幸せを求めるとは思えない。まっとうに王道の幸せを選ぶだろうし、十分、掴める人のはずなのだ。
その後、モエから連絡はなかった。
私も連絡のタイミングを考えあぐねるうちに年月が経ってしまった。
共通の友人に尋ねたこともあったが、その友人は出来事自体を知らなかった。
同窓会にもモエは現れなかった。
モエの、あの不運の連続は一体、なんだったんだろう、と思い出すことがある。
教え子の不幸。
離婚。
エネルギーを消耗し、次に道を探すも、本来なら選ばないような道に踏み入ってしまったのか。
そしてそのまま次々と迷いこんでしまったのか。
‥というような風にしばらくは思っていた。
しかし、ある時、ふと、新たな想像がよぎった。
モエが北海道に行ったのは、実は“逃げた”のではないか。
「彼」がストーカーと化した?
モエはパニックを起こして、身近にいた同僚にすがり、取るものも取り敢えず、逃走した、とか?
モエは“逃げた”‥ならば私にはしっくりくる。相手をそそのかして駆け落ちした、などというより。
─ちょっとまて。私、今頃、それ、思い付く?
そうか、そういえば当時はストーカーって言葉は世間でほとんど聞かれなかった。
私にはストーカーって知識があの頃、なかったんだ。
“付きまとい”という言葉はあった。今でいうストーカーや類似のものだろう。
“付きまとい”や、その後、ストーカーって言葉が出てきても、警察もマスコミも世間も最初は全然、深刻に受け止めなかったよな。
私ももし、発想できてても深刻に捉えなかっただろう。
実際、モエは逃げたのだとしたらどんなに恐ろしかっただろう。
だが、無断欠勤って何だろう。
同行した男性が親や職場に連絡できなかったんだろうか。
ストーカーに邪魔された? 公衆電話にたどり着けなかった?(当時、携帯電話がない)
私もモエも還暦が視野に入った。
いまだに私は時折、モエのことを考える。
例えば、元ご主人が再び、彼女に寄り添ってくれてるとか、ないかな。マリリン・モンローに寄り添ったジョー・ディマジオみたいに。当事者同士はあり得ないと思うのかな。
また、彼女に会いたいな。心に傷を背負っただろうけど、元気であってほしい。