“モチベーションは火事場にあり”の同級生(現在、教師)の話
私(ヤマノ)とイタカさんとの付き合いは40年近くになる。中学、高校が同じだった。
イタカさんは地元で小学校の教師をしている。
私は長年、勤めた学習塾を辞め、主婦になり、今は時短パートをしている。
新型コロナウイルスが猛威をふるっていたさなかのこと。
私は、感染者数が下火になるのを見計り、なんとかお盆に帰省した。
帰省すると、ほぼ、必ずイタカさんと食事をする。コロナ感染に不安はあったが、例によって彼女と店で再会した。
出されたお通しの沖縄豆腐には食用花が刺さって、いや、飾られていた。おしゃれな創作料理居酒屋だった。
ビールで乾杯し、早速、私はイタカさんに学校の様子を尋ねた。
連日、テレビで感染者数が発表され、不安でいっぱいな時期。
密な教室でどう、日常を営んでいるのか。欠席児童も多数。教師にだって感染者が出るだろう。そんな状況でどう、授業を進めるのか。教室の消毒は教師がやっているんだろうか。聞いてみたいことはいろいろあった。
「コロナでさ、授業ってやれてるの?
欠席とか多いんでしょ。消毒とかどうしてるの?」
私のその問いに対して、イタカさんはいきなり、職員室での出来事を話し始めた。
教室運営の困難さもさることながら、彼女は司令塔でもある職員室の混乱に業を煮やしていた。
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「教育委員会から“木曜日”に通達がきてさ、それが、“すぐ次の月曜日”から学校閉鎖って話だったんだわね」
その“木曜日”やら“月曜日”は、3月、つまり年度末のことだった。
年度の最終月に、教育委員会から市内の全小学校へ学校閉鎖を行うよう、要請があったのだという。
それは、よくよく具体的な話を聞けば大変な一大事だった。
「そんな時期に学校閉鎖したら、もし閉鎖が長引けばさ、次に子どもたちと会うのは新年度になるかもしれないんだわね」
といって、イタカさんは私の目をしっかと見た。言い聞かせてるみたいな感じだった。そして続けた。
「そう考えると、残る金曜日と土曜日をさ、どう過ごしたらいいか。
緊急の職員会議になったんだわ」
イタカさんには既に気迫が宿っていた。
「教頭が頭、真っ白になっちゃってさ、通常授業をするって言いかけたんだわね。
だけどさ、次、子どもと会う時、新学年になってたら、クラスごとに『あの教科は習ってる、習ってない』なんてことになると、取り戻すのが一番、大変なのが国語と算数なんだわね。他の教科はなんとかなるけど国語と算数だけは難しいんだわ。
だから、あたしは残る2日間は国語と算数を終わらせることを優先すべきだって提案したの。
ほかの先生たち、だいたいみんな、賛成してくれたんだけどさ、教頭が、カーっとなってまってさ」
下役のイタカさんの発言が教頭のプライドに障った、ということらしい。
だが、イタカさんは忖度が嫌いな人だった。それに実は、彼女は教頭より年上だった。
彼女は自身の正論を押し通したそうだ。
「イタカさん、さすが、ベテランの機転、判断。‥‥教頭もベテランだけどさ」
私は、両者の意地の張り合いはともかく、まずは戦う彼女を労いたいと思った。
私は以前、学習塾で事務員として働いていたので、教育現場の実際の姿として、独特な正義感や使命感だとか、教員同士のぶつかり合い、ややもすると見下し合いなどがおこる様子を想像してしまう。そんな職場で、真っ向、戦うのはしんどいと思うのだ。
それにイタカさんは社会人の最初の10年は一般企業で働いていた。だから、学校現場を第三者的に見る目も持っている。それ故、学校の閉鎖性や社会通念との溝などを感じた時は歯がゆい思いもし、時には上から目線と思われたりしてやりづらさもあったようだ。
私はイタカさんの苦労を想像し、つくづく、大変だなぁ、と思った。
互いにビールを飲み干し、一旦、話が落ち着いた。それで空気がしみじみした‥かと思ったら、
「でもさ、あたし、好きなんだわね、そういう場面」
イタカさんが突然、理解しがたいことを口にした。
「は?」
「そういう危機って言うか、『ヤバい、どうするの!?』って時に、対処してくのが、あたし、ワクワクするんだわ」
イタカさんは、私の要領を得ない顔を見て、説明を重ねた。
「私、SE(システムエンジニア)の時にさ、銀行が閉まると、銀行のシステムが正常終了したかどうか、毎日、職場で音が鳴ったんだわね」
イタカさんは大学卒業後、銀行のシステム管理を行う子会社にシステムエンジニア(SE)として就職した。
毎日、午後3時45分に銀行システムの終了結果を知らせる通知音が発せられたという。
正常終了か異常発生か。
音の鳴り方でそれが示された。部署全体が固唾をのんで発令を待ったのだそうだ。
「毎日、みんな、シーーーッンっとして、どんな音が鳴るかって、ハラハラしながら結果を聞くんだわね。
ピピピピなら無事、終了なんだけど、ピ-、ピ-ならうちの社内でトラブル発生なんだわ。
ピピ-、ピピ-なら銀行の方で異常が出たってなるんだわね。
ピ-なら社内だけの話だからまだ、いいんだけどさ、
ピピ-ならもう、その日のうちに直さなかんから残業なんだわ。
でも私、何の音が鳴るか、心が踊ったんだわね」
彼女は、心が踊った、の言葉のところで、口の端が上がり、眼に光が差したった。
「え? 心が、踊った?」
「そういうの、私、ワクワクするの。気持ちが昂まるんだわ」
私は長年、彼女にとってSE業はさぞ、我慢の職業だっただろう、と思っていた。
中学時代から彼女を知る私には、どう考えたって彼女はSEになんか向いてなかった。理系科目を苦手にしていたし、実際、彼女自身、向いてない、としばしば口にしていた。
ところが今、目の前の彼女は生気をみなぎらしている。
SEは我慢の職業ではなかったのか?
私は混乱した。
火事場が好き?
SEは当時、時代が求める職業だった。文系女子の求人はそればかりだった。それしかないほどだった。
児童教育専攻だったイタカさんは、教師の道か一般企業への就職か、迷いに迷って、結果、SE業についた。
しかし毎日の残業と、そして彼女が勤続3年めの時に新人指導した後輩男子が、その後、自分の上司へと逆転し、会社に失望した。
入社から10年、SE業は「向いてなかった」と結論付け、教員への転向を決意。
年齢制限の関係で、受験できるのは倍率の高い都市圏ばかりだった。働きながらの受験だったにも関わらず合格。現在に至る。
「だからコロナで学校閉鎖になって、再開したら新年度かもしれなくて、『どうするの?』ってなった時もワクワクしたんだわ」
と、イタカさんはいった。
「ワクワクしたんだ‥‥」
びっくりだった。私の中にあるイタカさんの人物像が揺らいでいた。
いや‥。
違う。人ってそういうもんだ。
人はいろいろな面がある。ステージや役割などによって顔が変わる。
それに私たちは時代を積み重ねてきた。お互いに知らないことや価値観の違いが増えている。
それにしてもコロナ対応だのシステム対応だのにワクワクするとは、尋常でない刺激欲求の人ではないか。
昔からそんな人だったんだろうか。
少なくとも彼女にはパワーがある。
パワーがなければ、教頭を言い負かしたりなんぞ、なかなか出来ない。
実は彼女は5人もの男性からプロポーズされたらしいのだが、ずっと独身でいる。母親とは強烈に折り合いが悪い。(機会があれば、別に話を聞いてもらいたい)
そんなこじれ方、パワーがあり過ぎるのだ。
彼女が、日々、悪戦苦闘で繊細な私の友人であり続けてくれて有り難いと思いながら、ビールを呑み、彼女の話を聞く。