情緒不安定で引いたカードが最悪をもたらした友人の話 その1
私(ヤマノ)の高校の同級生だったモエが離婚した。
まだ、26歳。2年弱の結婚生活だった。子はなかった。
離婚理由は、モエの危機的な心理状態の時に、ご主人が彼女のそばにいてやらなかったことだった。
当時、モエは特別支援学校の教員をしていた。
ある日、彼女の教え子が貯水槽にはまって亡くなってしまった。
昼休みを過ぎても児童の一人が教室に戻ってこなかったので、スタッフ数人で校内を探すと、裏庭の貯水槽の蓋が空いているのを見つけた。覗くとその児童がはまっていた。
モエはショックと担任としての責任感が高じて、激しく情緒不安になった。
苦しい精神を抱えきれず、ご主人に、残業をせずに早く帰ってきてほしい、そばにいてほしい、と懇願した。
しかし、普段から残業の多かったご主人は、いつもと変わることなく帰宅は遅かった。
「いてほしい時にいてくれないなんて、一緒にいる意味ない」
と、彼女は細い声で断じた。
離婚から1年が過ぎた頃、居酒屋で私がモエから聞いた印象的な言葉だった。
その日、私は彼女のグラスにビールを繊細に注ぎ足し、辛い連鎖の出来事を聞いた。激励会のつもりだった。
私とモエは、大学時代からたまに会ってカフェや居酒屋で互いの近況を話しあう仲だった。
だが、モエの不仕合わせはそれで終わらなかった。次々に不運な目にあった。
離婚後に付き合った相手が心神耗弱となり(?)、首に手をかけられた。
それから、どういうわけか、年下の同僚と失踪(?)。
ごく普通の善良で素朴な彼女が、なぜ次々とそんなトラブルに見舞われたんだろう。30年近く経った今も時折り、考えてしまう。
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モエは教育大学を卒業したあと、特別支援学校の教員になった。
25歳で結婚。相手は大学時代の先輩だった。
ご主人は婿に入り、姓も変えた。職場では妻の姓を名乗ったそうだ。
ご主人はモエにぞっこんだった。彼女に何度もメゲずにアタックし、結婚を手繰り寄せた。
モエは献身的な妻になった。職場で目の離せない児童たちの面倒を見て、疲れて帰宅しても家事をよくこなした。
だが、せっかく夕飯を作っても、食べるのは一人でだった。夫は毎日、残業で帰宅が遅く、深夜に5分で飲み込まれた。
「早く帰ってきてっていうのに帰ってきてくれないの。いっつも夜10時とか11時とか…、朝とかもあるの」
と、モエは悲しそうにいった。
彼女の結婚後、初めて一緒に過ごすランチタイム。私は彼女の新生活の様子を聞いた。
モエのご主人は国内屈指のIT企業で営業マンをしていた。
─ 営業マンとか厳しい会社の人って、日をまたぐまで働いて、翌朝、普通に出社するっていうよな。しかも出社は定時より1時間とか早く行って仕事の準備をするって、仕事の準備も仕事のうちなんじゃないの? パワフルだな~。私はできない。捧げ過ぎでしょ。
と、私は思った。
しかし当時は“サラリーマン戦士”なる働き方が当たり前でもあった。
「営業って忙しいんだって。でもさぁ、朝しか顔を見ないって…」
モエの声が湿っぽかった。
そのランチから半年ほどした頃に、モエの教え子の不幸な事件が起きた。
そこからの離婚はスピード展開だった。
ご主人は、まさか離婚に発展するとは思わなかっただろう。相当な失意だったに違いない。離婚に伴い、職場を辞めたらしい。次は県庁職員へ転身した。
モエも特別支援学校を辞めた。日を置かず、すぐに市役所で働き始めた。
偶然だろうが、両者とも役所に転職し、私は、二人とも優秀でカタイ人たちだな、と思った。
先述の、居酒屋でのモエの激励会の話に戻る。
重い空気だった。
だが、モエは元ご主人を批判するばかりではなく、慮ってもいた。姓を変えてくれたことへの感謝、人望厚く、仕事を放り出せなかった人柄と背景。離婚をすぐに受け入れてくれたことなど。
私はモエを慰めねば、励まさねば、と前のめりになって話を聞いた。
ところが一区切り着いたあたりで、
“ヤマちゃん、心配しないで”
といわんばかりに突然、話が明るく転じた。
「やまちゃん、私ね、彼ができたの」
と、モエがいった。
「えっ!?」
私はびっくりした。
モエの目に光が射していた。表情が一変していた。急にビールが瑞々しく香りを放ち、周りが鮮やかになったような気がした。
「ほんと? ‥‥(少々、絶句)‥。
よかったぁ。さっき、モエと会った瞬間、元気そうだな、とは思ったのよ。そうかあ」
「一緒に住んでるの」
「えっっ」
─なんだ、立ち直っているの!?
私は拍子抜けした。まあ、よかったけれど。
それにしても、
─モエ、モテるんだなあ
と思った。
新しい彼氏は元ご主人とはまったく異なるタイプのようだった。
─結局、モエは、元ご主人のことをそれほど好きじゃなかったのかも。
と私は思った。
猛烈に口説かれて次第にその気になり、結婚相手としては申し分ないからと、折り合いをつけたような結婚だったのかもしれない。
実は、元ご主人との結婚準備が進む頃、モエは当初、元ご主人の容姿があまり好きではなかったといっていた。
「彼、おまんじゅうみたいな顔なの~」
といって、モエは苦笑いしていた。
彼女は式に招待できなかった親しい友人に一人一人会って、コトの次第を説明し、ちょっとしたプレゼントを配っていた。
私もおしゃれなカフェに誘ってもらった。
「彼」は四角っぽい体型で、背はモエより少し高い程度。だが、人望厚く、頼りがいがあり、一流企業に勤めているということだった。
容姿以外に「彼」のマイナス面は聞かれなかったが、後から思えば妥協が見た隠れしていたかもしれない。
不思議なことに、モエが口にする悪口はイヤな感じがしなかった。少なくとも私は。彼女はホッとできる雰囲気の人だったから、カドも丸くなるのかもしれない。
彼女の主張気味の鼻の穴やふっくらした手指、小柄な体型など、見た目も可愛いらしくて、少々の失言もお茶目に聞こえた。
加えて、両親が大阪出身のせいか、関西の“ボケ”風なセンスが利いていた。イジられつつも自身の魅力を放ち、同時に相手をサポートしていた。
リーダータイプだった元ご主人には、彼女のサポート力や可愛らしさ、賢さが心に馴染んだのだろう。
だが、モエは本当は自立心があり、結構、クリエイティブな人だった。文字通り、夫の“ツマ”にはまるのは窮屈に感じていたかもしれない。
モエの次の彼氏は水槽のデザイナー、アクアリストという職業の人だった。
「賞も取ってるの。日本の大会で二位だったんだって」
と、モエは興奮気味にいった。
水槽デザインを競う国内の大会で賞を取り、アクアリストのプロとして活躍しているのだという。
出張デザイン、作品のレンタルのほか、水槽や周辺用品、飼育する生き物などの販売もしているようだった。
時代はバブルだった。
アクアリウム水槽はその頃、あちこちでよく見かけた。観葉植物などとともに街角やデパートを飾り、会社、銀行、病院などに落ち着きを演出していた。
だが、それらはバブルが弾けると最初にリストラされた。生活や経済活動などにおいては余剰品だからだ。
モエの彼はまさにそういったもので商売をしていたから、バブル崩壊に伴い、仕事に行き詰まっていった。
そして次第に心身に不具合をきたし始めた。
その頃、また、私はモエと居酒屋で会った。
「ヤマちゃん、どうしよう。
彼が、お前の後ろに菩薩が見えるっていうの。夜中、電気も点けないで」
「えっ? ‥菩薩? モエ、大丈夫?」
「この前、私の首に手をかけてきて‥」
「ええっ!?」
「どうしよう。ヤマちゃん、怖い」
私はモエの怯える様子を見て、彼と別れるべきだと思った。
モエの首に手をかけるなんて、キレイごとですみそうにないではないか。
だけど、男女の事情はそう単純ではない。モエの反応は要領を得なかった。
それからしばらくしてモエに非常事態がおとずれた。
ある夜、私の家に、モエのお母さんが泣きながら電話をかけてきた。
モエが同僚と失踪し、行方を探しているというのだった。
(よろしければ、続きの その2 もぜひ、お読みください)