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感性とデータ、選手の育成など・・別の球界レジェンドの見解とは?
「危ないね、この流れは」「今の野球ストレスたまらないですか?」
これらは、昨年12月末、TBS系にて2夜連続で放送された「情熱大陸」においてイチロー氏と松井氏が放った、MLBのデータ依存に関する発言だ。
"両巨頭”はまた、日本球界がメジャーの流れに呑み込まれることに関しても危惧を抱いていた。
新しい年を迎えても、イチロー氏と松井秀喜氏の対談番組の放送を機に、現代野球のデータ依存に関する議論はメディアを通じてより活発になっている。
データ主義の弊害として「感性が失われる」とイチロー氏は自論を展開し多方面で物議を醸しているが、別の球界の"レジェンド”2人、工藤公康氏と宮本慎也氏の「データ」活用及び選手育成についての考え方も紹介したい。
最初はイチロー氏の高校の先輩、工藤公康氏だ。工藤氏は先ごろ、自身の著書「数字じゃ、野球はわからない」を上梓している。
本書の表紙をめくると右帯に「投球のコースや球種、打球の軌道や打球速度ー。『数字』やデータでは測れない"野球の奥深さ”を探求する」とある。なかなかタイムリーな内容で、一気に読み入った。
本書は5章で構成されており、それぞれ以下のような表題がついている。
「野球は進化しているか?」
「NPBはMLBを超えられる!」
「古くて新しい『配球』の基本」
「今、求められている監督・コーチ像」
「培われた『プロ』としての野球観」
"データ活用”と"現場”の両方を知り尽くした「優勝請負人」らしく、本書では、データの活用法、またはその取捨選択の必要性を説いた上で、あくまでも主役は選手とする「人間中心主義」のスタンスで野球を見て自身の采配を振り返っていることが良く理解できた。
例えば、データが現場にかつてなく身近になったことに関しても、工藤氏は「今の時代、監督やコーチに求められているのは、データと自分の経験や感覚を結びつけ、データと選手を結びつけること」と著書の中で話している。
どれだけデータがあっても、「データ、選手、トレーニングや練習のことを理解できる監督やコーチがいてこそ選手が生きる」と工藤氏は説く。「『いい選手(打者、投手)』はデータだけでは育たない」というのは偽らざる感想なのだろう。
甲斐拓也との交換日記
本書はそんな工藤氏が自身の野球観をソフトバンク監督時代を振り返りながら披露しているが、こちらが少し拍子抜けするくらい、"名将”は選手の心の側面を重要視している。
「選手の成長にとって、こころの変化が最も大事」と捉え、選手の行動、言動変化にことのほか注目しているのは新鮮だった。
特に面白かったのが、甲斐拓也との"交換日記”の件だ。
「絶対に外に出さないから、本音を書け。オレも本音でお前のダメなところも書かせてもらう。オレの悪口を書いてもいいんだぞ」と伝えて「18年から始めた」と著書にはある。
甲斐拓也に関しては、二軍時代から話をしていたという。
「扇の要に育てよう」と思い至った要因は、技術的には捕ってから投げるまでのスピード、肩の強さ、ブロッキングが主要因だったようだが、なにより甲斐の素直で向上心の強いところが「かつての教え子」城島健司氏と共通していたらしい。
工藤氏の見込んだ通り、甲斐は16年から頭角を現し、その後、侍ジャパンの正捕手を担うようになる。昨年は課題の打撃を克服し今季から新天地、巨人へ活躍の場を移す。工藤氏から見れば、それこそ甲斐の心の成長を後押しした恰好となった。
平成最終年、令和と時代が変われど、こと「捕手」の育成に関しては「昭和」とさして変わらない。
アナリストとアスリートの相性って、あまり良くない(苦笑)
一方、「データをもっと活用しろ!」と現役野手や指導者を喝破するのがもう一人の”レジェンド”宮本慎也氏、だ。
宮本氏は守備の名手でありながら打撃でも2千本安打の実績をもつ。アマチュア選手の指導を積極的に行っている関係で、昨今のプロ・アマに共通する「打低」の状況に対し、以下のように選手や指導者の探究心が足りない、と手厳しい。
宮本:ゴロよりフライの確率を上げようとすれば、バットは下からの方がいい。強い打球を打とうとすれば、スイングスピードを高めた方がいい。
ミスショットを減らそうと思えば、インパクトゾーンを長くした方がいいし、体のブレを小さくした方がいい。
自分に足りない技術がなんなのかを調べる。肉眼で見ただけでも、ソコソコのところは分かるけど、数値化すればもっと微妙な力加減や動きが分かりやすくなるでしょ。
小島(記者)でも、そういうのを否定するプロの指導者って結構いますよね。
宮本:そうなんだよなぁ。アナリストとアスリートの相性って、あまり良くない(苦笑い)。
特にプロで実績を残している指導者って、自分の成功体験を大事にする傾向が強い。感覚が鋭いからイメージの方が勝るんだろうね。
アナリストと意見が違えば「お前、プロでやったことあんのかよ」って思いも出てくる。それに対してアナリストは「なんで数値で出てるし、統計でもこうした方がいいのに否定するんだろう」ってなる。
それで「プロ野球選手ってバカだなぁ」って思いが出てくるんじゃないかな。こういうのはお互いがリスペクトし合わないとダメなんだよね。
引用:宮本慎也氏が深読みするアナリストの心理「プロ野球選手って、バカだなぁ」~日刊スポーツ・プレミアム「宮本慎也 もっと野球を語ろう」~2024.1.29~
引用記事は昨年初頭のものだが、「選手の感覚や経験が『現実』と『成長』を見誤らせる」という主張は一見、イチロー氏が放った持論とは対極を描いてるようで面白い。
宮本氏はNPBの現場から離れて久しく、現在のNPB各球団のアナリストとコーチ、選手の関係性に関しては、上述した工藤氏ほど理解の域にはないことはもちろん、認識しておく必要がある。
また、対談相手の記者が「投高打低」の調査報道に関わったということもあって、ことさらNPBの現場(野手&指導者)のデータ活用が中途半端に映るのかもしれない。
こうした背景があってかどうかは不明だが、「日本の古い指導者」に関する言及は、今や宮本氏の「十八番(おはこ)」となっている。
宮本:今はメジャーの打者も低いライナーを打とうという意識が高くなっていると聞いてる。それは空振りを減らそうとするためだろうけど、「ゴロはダメ」っていうのは変わっていない。
それを「今はメジャーも縦振りのアッパースイングをやめている」とか、自分たちの理論を正当化するために簡単にいう。「強い打球を打つ」や「遠くに飛ばす」といった根本的な部分が違うのにね。
日本の古い指導者は逆だもん。俺らの世代の指導者は考え方を変えないと。自分が現役時代、そうやって打っていなかったら、なかなか変えるのは難しいだろうね。
でも大谷翔平を筆頭に、日本の常識にとらわれずに長打が出るようなスイングをするバッターがポツリポツリ出てきている。レッドソックスの吉田、ソフトバンクの近藤なんて、体は小さい。でもスイング軌道を変えるとか、ウエートや食事知識が発達して、パワーを補える。
最初から「外国人にはパワーで勝てない」と諦めちゃいけないね。
引用:「三振NG」→「仕留めてやる」同年代の指導者が変わらないと(2025.01.23)
~日刊スポーツ・プレミアム「宮本慎也 もっと野球を語ろう」~
ここまで工藤氏、宮本氏の「データ」に関する考えの一端を紹介してきた。
工藤氏は膨大なデータの流入にバランス感覚を持ちながら監督業に臨み、捕手の育成に関しては甲斐の感覚の研ぎ澄ましを誘発するよう心を砕いていた。
「データの餌食になるな!」選手、指導者等にそんな警句を発している、と感じた。
一方、宮本氏は「データ軽視」「活用の中途半端」が、現役選手だけではなく現役時代、打者として結果を示した指導者連の経験則、持論を不動のものとしてしまっていることを憂いている。
しかしその宮本氏も見方を変えると「データを活用して自身の感性を揺さぶれ!」と伝えており、根っこの部分はイチロー氏と同様なのだと感じる。
先ごろ、データ提供企業の関係者の発言にもあったが、データと感性とは相対立するものではなく、データは「感覚」の裏付け、技術の再現性を助けるもの、とされている。
ビジネスでDX化の必要性が論じられて久しいが、野球界においても選手は「データドリブンによる感性の揺さぶり、挑戦、意思決定、変化」という成長への姿勢が時代に求められているということなのだろう。
「データと感性」に関してこのように考えることができると、個人的に気になるのは松井秀喜氏が発した「今の野球ストレスたまらないですか?」である。
このあたりは、見ている者には皆目、見当がつかない。
データ過多による選手の思考停止や画一的なプレースタイルの蔓延、それによる成長の停滞など、様々な側面から「ストレス」の正体を考察することを野球編集者の猛者らによって表出されることを期待したい。
アナリストの影響度に関するファクトも大いに知りたいところだ。
いずれにしても、野球界におけるデータを取り巻く議論は今後も活発になりそうだ。注目していきたい。