大事に
ちょっとネガティブモードなこと書くので、そういうのは読みたくない、という方はここでお戻りをm(_ _)m
過ぎたことをグズグズ思い返すのもよくないのですが、前のピアノ教室で私、大事にされていたんだろうか?と思うのです(「大事にされたいなんて、何甘ったれたことを」という批判はご容赦を)。
教室のブログがあって今もたまに見てしまうのですが、記事の大半は子どものコンクールの話です。
大人。コンクール無縁だった私のことなんてどうでもよかったのかな、と前から思っていましたが、相変わらず子ども・コンクールの話題ばかりなのでこの教室の最大の関心事はそこなんでしょうね。ブログの記事がすべてではない、かもしれません。でも、どうでしょう、あまりにも特定のテーマばかりであるのなら、やはり関心はそこにあるのではないでしょうか。
大人が出てくることはまず、ない。自分はさておき、他の方も。大人、結構いるはずなのですが。
ブログって、「どんな教室かな?」と思う人は見ますから、このようなブログ見れば「大人には力を入れていないのかな」と思うかもしれません。
特定の子どもばかり何回も記事にしてもらえる一方で1回も書いてもらえない人(かつての自分含めて)もいる。というのも引っかかっています(個人情報の面から断る生徒もいるかもしれませんが、そこはわかりません)。
ブログのことだけではなく、いろいろ。
大事にされていなかったな、と思う。
では今習っているところはどうなのかって、少なくともブログ他SNSをめぐるモヤモヤは一切ありません。だからこの教室選んだ、というのはある。
教室のブログはないんです。インスタグラムがある。ほとんど更新されないんですが、記事になるのは先生が聴きに行かれたコンサートのことが多い。教室のことを記事にすることは、私が見た限り、ないみたいです。
インスタグラム(他SNS)で面白いなあと思うのは、載せている写真が人物中心の人とそうでない人がいること。その人の関心がどこに向いているのかはっきりわかりますね。
前のところは人物中心。今のところは人物ほとんど載せない。
だから、教室のSNS見てもモヤモヤしないのかもしれません。
で、だからって私が大事にされているのかはなんともよくわからないのですが、そういう(特定の誰かを特別扱いしたりはしない)先生だな、と思えばもうどちらでもいいような。
特に自分が大事にされているとは思わないけど、かといって他の(子どもの)生徒より雑に扱われているようにも感じません。
誰かを特別に大事にする先生は他の誰かを大事にしない可能性がある。
それならば、誰も特別扱いしない代わりに誰も雑に扱わない、の方がずっといいです。
そりゃ自分が特別扱いされれば嬉しいかもしれないけど。私、ピアノでは特別大事にされたことないから。大事にされたかったな・・・本当はそう思う。でも、そうなると、自分が立てた理屈でいえば他の誰かが大事にされない可能性があるから、それは嫌か😌
なんかだんだんよくわかんなくなってきたけど。本音は大事にしてもらえる生徒さんが羨ましかった。私も大事にされたかった。
ともかくも。今いらないストレスなく習えていることは実にありがたいことです。