出した音をよく聞く、って
レッスン(ピアノもチェンバロも)では「自分が出した音をよく聞いて」と実によく言われます。ついでながら「自分の出した音が聞けていない」とも実によく言われます(ピアノもチェンバロも)。
自分の出した音が聞けていない、が自分の欠点なのでしょう。
ということで、かなり気をつけるようになりました。
そうしたら、昨日のピアノのレッスンでは、1回目こそ「聞けていない」と言われましたが、レッスンの終わりの方では「だいぶちゃんと聞けるようになりましたね」と言われました。よかったと思いました(^_^)
さて。
家に帰ってから今日のレッスンを反芻しながら、ふと思ったのです。
〈出した音を聞いたところで、一度出してしまった音に対してはその後はどうしようもないのではないか?〉と。出した音を聞いて何かを変えようとしても、ピアノという楽器の特性上、一度打鍵してしまった音はどうにも変えられません。厳密には音が鳴っている間ペダルの踏み方を変化させることで音量だけでなく音色も変えることはできなくはないですが。基本的には、いったん出しちゃったものは後から変えられません。
ってことは。
出した音を聞く、ということは、今出した音に対してどうかするためのものではなく、次の音の出し方につなげるためのものなのでしょうか?
また1つ謎です。