3日くらい前の夜勤の時に(5時半あたりだったか)車椅子からひっくり返ったおっさん(特別養護老人ホーム。いわゆる高齢者向きなのだが、たまに50代くらいの人が入ってくることもあります)がいて、一度床から車椅子に座らせようとしたのだけど、どうやら無理っぽくてベッドに持ち上げて横になってもらった。気がつくと左腰に激痛が走り、ひょこひょこ歩きながらなんとか定時の7時までの仕事を終わらせた。 とにかく腰が痛い。これはいかん。ということでそのまま家の近所の接骨院に行くと「ぎっくり腰」との
私は武道を20年くらいやっておりますが、徹底的に非戦のかまえです。 殴り合うのは下の下で、それではただの乱暴者です。 また戦中戦後の人たちの話しを仕事で聞いて、戦争だけは絶対にしたらいかんと思ってます。 それは彼らの「戦争だけは絶対にいかん。」という思いに泥を塗ることだからです。
フォロワーがちょこちょこ増えておりまして、ありがとうございます😊 話しが沢山ありすぎて、めんどくせえなあ。と思った方は「永遠のいのち」という話しだけでも読んでみて下さい。 結局はまあそういう事なんだろうなと。 まだあきらめてはいません 今日は家の草取りと掃除で1日おわってしまった
自民党の裏金問題が〜。とずっとやってますけど、そんなもんは昔からあって知ってる人は知ってると思うんですけど、それより統一教会の問題はどうなったんでしょう。そっちの方が問題じゃないですか?それに対して聴くと全員黙る。という話し。
そんなに安全なら東京湾に建てればいいのに。 石破総理。誰ですか?それ。
今さらですが岸田総理が原発の再稼働やら新しいものを作るやらふり出しに戻るようなこと言ってましたけど、この人はほんとにロクなことをしなかったなぁ。と改めて思いました。 息子が昔SNSで「岸田総理にころされる〜。」という歌を聴いていて笑い事じゃないんですけど笑ってしまった。
このあいだ遠野高等学校というところからオロチ社長の作った曲がスキされました。 学校からもくるんだなーとびっくりした。 遠野物語は読みたいジャンルのひとつですが、家事と仕事が忙しくてかなかな手が出ません。 本もロクに読めないのですが、新聞の本の紹介欄はよく読んでいます。
オロチレーベル社長の最近の曲 こういうのは息子の方が詳しい 普通に文章に動画って載せれないんですね
社長の活動のリンク先をコピペしたのですが飛ばし方がわからず、中途半端になってしまった。 Youtubeはオロチという名前で音楽作ってますよ(コマーシャル) それにしても機械は苦手です
その頃は就職氷河期というやつらしかった。 自分は卒業してから職を探し、サラリーマンになったのだがやはり仕事しながらというやつが難しくドラムを「神輿担ぎアフタヌーン」に任せ普通の人になった(まあその営業もすぐに辞めるのだが)。 レモンフーリガンはその後も活動しており、特に大阪でウケが良かった。しかししばらくして色々な事があって活動休止という運びになった。今ではYoutubeで聴く事が出来ます。 ギターのらいむさんにはテレビの撮影の時期にひどい事をしてしまった記憶があり、深く
撮影というのはなかなかややこしいもので、まあ詳しくは書きませんがやっぱりテレビって、プロレスだな。と。 あと自分は卒業論文や部活、テレビの撮影などなど。かなり疲れていて、あまり色々な事を覚えていません。後でメンバーから聞いて「そんなことあったっけ。」という事も多々ありました。また番組をビデオ予約していたと思うのですが、その辺のビデオもさっぱりありません。 「レモンフーリガン」は野村義男に褒められたり何だかんだあって、決勝まで勝ち残り「ポートメッセ名古屋」でのライブが決定し
兎に角バンドが始まってしばらく経ったある時、自分は昼間は学校で少林寺拳法やったり学外内で音楽やってたりしてたので深夜のカラオケ屋でアルバイトをしていた。 その名は「999」日本で2番目に汚いカラオケ屋だと思っている。 で、レジの前にテレビがあって何のけなしにボーカルのメーテルと見ていたらCBCテレビの「キングオブインディーズ」という番組がやっていた。 簡単にいうと名古屋付近のインディーズバンドのキングを決めるというやつで、ブロックごとに分かれていてそのブロックのNO1がポ
高校の友人たちとは名古屋のインチキ音楽レーベル「オロチレーベル」というのを名乗っていて、時間軸は確かかどうか忘れてしまったが、その頃オロチ社長の地元の常滑市のローカルケーブルテレビで「ロック大学」という番組をやっていた。自分もちょこちょこ参加していたのだけれど大学のサークルと同時に少林寺拳法部にも入っていたので忙しくてあまりオロチレーベルの友人たちとは会ってなかったような気がする。 とにかく「レモンフーリガン」は誕生し、ボーカルのメーテル(男です。メーテルリンクから取ったら
うーむ。早番なのに眠れない。きっと言っておきたい事があるのだろう。全力を出さないと倒れて眠れない。 19歳の時に高校の友人から卒業後「ちょっと会おうぜ。」みたいな事を言われて革靴で行ったら、サッカーやることになった。 そのあと「ドラム叩いてくれ。」と言われ、浪人生にもかかわらずそこから友人の家にある常滑焼で有名な常滑に入り浸るようになった。 そのドラムというのがギターのハードケースとお菓子の缶だった。ハードケースがバスドラでお菓子の缶がスネア。 足でバスドラを踏む事を知った
今までしばらく実家におりましたが、 金曜日から自宅の生活に戻ります。 (別に夫婦間が悪いというわけではない) また家事と仕事の毎日に戻ります。 書きたい事は沢山あるけれど、忙しくてそれどころじゃないでしょう。 でもそれも悪くない。世界を救う事も大切だけど半径50mの日常も大事。
今現在、介護や福祉は瀕死の状態でえらい総理大臣が「経済!経済!経済!」と声高に叫んでおりましたが土台がしっかりしなければ経済もクソもありません。 また、国があるから人がいるのではなく人が集まったから国ができるのだと思っています。 エライ人たちはそこの事をよく分かっていただきたい。