母のガン③手術前日
検査結果を聞いた日に手術の日が決まった。
末期だからなのか思ったより早い3週間後だった。
それまで抗がん剤を飲んで少しでも体力を回復して手術に備えなければならないのだが、ショックも加わり痴呆の症状が出てきた。
それまでたまに変な事言うな、ぐらいだったのが頻度が多くなってきたと、姉が愚痴る。実家で3時間ほど過ごすししたがなるほど確かに心配になってくる。
覚悟はしていたけど実際親がそうなると悲しいとか聞くが、一緒に住んでるわけではないのでこちらには特に支障がないし、むしろ姉たちの重荷になる前にガンで逝くのならちょうどよかったと思ったくらいだ。
来年の免許更新日まで乗るといっていた原付バイクは、すでに車体を支える力を失っていた母には重く、わたしが貰うことになりこれは正直ありがたかった
手術が成功して来年の春に電動自転車をかってあげるからと言っても、母は心ここにあらずといった状態。
あんなにかわいがっていた犬にすら、まとわりつくのが煩わしいと世話をしなくなりしまいには足で払いのけるようになったという。
ほんと人間として器が小さい。
手術当日まで最低限の関わりしか持たないようにした。
ようやく迎えた手術前日、改めて執刀医から説明があった
まず胃は全摘、大腸は腫瘍の前後5センチ程度切除してつなぎ脾臓も全摘する。そして衝撃だったのが、摘出後へそ下を5センチほど切ってそこから大腸を全部体外にだし、他に腫瘍がないか目視しするのだという。そこが一番おどろいた。
説明終了後、胃の全摘に大きなショックを受けた母は病室で荒れ、姉が何を言っても収まらず呆れて家に帰ったとの報告がきた。
当時無職だったのもあり、夕食時だったが胃全摘後のレシピ本を買って顔を出したがとにかく悲観していて話をしていても通じない
明日も片道1時間半かけて手術の待機でこの病院に来なければいけないのだ、来たことを心底後悔した。
手術後に腫瘍を検体に出し、その種類によって対応が変わらしく、余命がわかるのもその結果が出てから。
死ねばいいとまでは思わないけど死んでもいいとは思った
母方の祖母は脳梗塞で8年寝たきりになり後半は痴呆で意思疎通がほぼいできないまま亡くなり、祖父も脳出血で5年寝たきりで亡くなった。正直そうなっては困る
わたしは結婚して孫を見せた。じゅうぶん親孝行したと思ってる