エッセイ「私のこと好き?」と聞く心理:【知られざるアーティストの記憶】番外
「私のこと、好き?」
とは、自分の好きな相手に聞いた記憶がない。それは、この質問にあんまり意味を感じないからだと思う。ところが私の身近に、この問いを真剣に恋人に投げかけて苦悩する友人がいて、彼女の悩みを聞くたびに私は、この問いをすることへの違和感を再認識し、募らせることとなった。どうして彼女が相手にそれを聞きたがるのか、その答えに固執するのか、わかってあげたくてもどうしてもその気持ちがわからなかった。
ちょうどそんなときに、三羽烏さんの企画募集が目に入った。
『私のこと好き?』と聞かれたらどうしますか?
心惹かれるテーマなのだけど、企画に沿った記事を書けそうもなかったので、私のスタンスをコメント欄で三羽さんにお伝えすることにしたら、彼女に対する理解しがたさをなぜか三羽さんにぶつけることとなってしまった(お詫び)。
でもまてよ。よく考えてみたら、「この質問を愚問だと思う」のだったら、その理由が必要じゃないか?私はなぜ、いつから、何がきっかけでこの質問を愚問だと思うに至ったんだろう?と考えてみたが、きっかけとなることも思い当たらない。
思うに、この質問は、されると困る質問だからだ。好きでない場合に、
「え、好きじゃないよ。」
とはなかなか言えないじゃないか。私は言えない。なんで聞くのだろう。
仮に答えがYesだったとして、ふいに聞かれたタイミングで、その返事として、
「好きだよ。」
と答えるその言葉の中に、自分の気持ちを100%乗せられるだろうか。
相手のタイミングで、その返事としての言葉に。
「好き。」
という言葉は、自分のタイミングで、感情の発露として吐き出すものがいい。返事では、なかなか100%にはならない。
100%じゃない言葉でも欲しいなら、好きなだけ聞いてくれてもいいけど。
私はそういう言葉は要らない。
いや、好きなだけ聞いてくれてよくない。しつこく聞かれると、なぜ聞くのか理由を疑ってしまうから。
「好き」という言葉は、言いたいと思ったほうが、自分から言うのだけでじゅうぶん、と思うわけだ。
「私のこと、好き?」
と聞かれて答える答えなんて、あまり意味を感じないし、信じない。
相手が自分をどう思っているかに興味がないわけではない。
それこそ全身を耳にして、心を傾けて感じ取ろうとするよ。
だけどそれは、言葉じゃなくってぜんぜんいいんだ。
私は恋をするとき、人を愛するとき、言葉をあまり信用していないのかもしれない。
私の愛するアーティストの話をすると、
彼もほとんど愛の言葉を遺さなかった。
「言葉を遺したくないんだよ。」
とも言った。それでいい、と思った。
私から唐突に
「ねえ、好きだよ。」
と言うこともあったが、
「何が好きなの?」
と、まるで怒ったような口調ですかさず問い返してくるのが可笑しかった。
あ、そういえば私が
「私のこと、好きなの?」
と聞くシチュエーションがあるのを思い出した。
それは、相手の素直な気持ちを聞きたくて問うのではなく、相手を責めるときである。
「ねえ、私のことが好きだから結婚したんだよね?なのに、なんなの、この仕打ちは?本当に私のこと好きなの?」
という気持ちが込められている。この場合、好きかどうかなんて聞いていないのである。
(このエピソードは、【知られざる~】のマリのイメージ保持のため出さずに置きたかったですが、唯一三羽さんの質問に答えているような気がします。)
☆
以上、問いの答えになっているかは不安ですが、私なりに書いてみました。ちょうど向き合いたかったことを考えるきっかけになりました。三羽さん、魅力的な企画をありがとうございました。
また、このような感覚を持っていた私ですが、応募されたみなさんの作品に描かれている物語や関係性がとても素敵で温かでおもしろく、こんな豊かな関係もあるんだなと世界が広がりました。
「私のこと好き?」
と問う関係って、最も近しい肌も触れ合う関係性で、触れ合った肌を通して聞くような質問なので、その周辺のエピソードはどうしても自分の内面の奥の奥を見せるような記事になり、公開に勇気も伴いますね。だからこそ、心震える面白さで、深い魅力のあるテーマだと思います。この企画を通して素敵なクリエーター様との出会いもありましたし、みなさんの作品を読ませていただくことも楽しみにしております!
もう一度、三羽烏さん、ありがとうございました☆
※ヘッダー画像は山根あきらさんのイラストをお借りいたしました。
この記事には山根さんのイラストがいいなと思って選びました。
そして、この企画への山根さんの記事はストレートでぐっときました。
どうもありがとうございました。