【知られざるアーティストの記憶】番外:Imakokoカフェ☕
今日、久しぶりにImakokoカフェを訪れた。このカフェは彼の家(のあったところ)から早足で20分くらい離れた最寄り駅のすぐそばにある。彼とは一度だけ、お茶をしに行ったことがある。
私は家業の商品をそのカフェに納めていて、彼と行った時もその納品につき合わせたわけだが、半ば無理矢理に彼を伴ったのは、一匹狼として生きている彼がもし仲間とつるむのであればこういうコミュニティなのではないかと感じる場所だからだった。そこは私にとってもまるで実家のように居心地がよくて、最も「素」のままでいられる場所だった。ここならきっと、あなたのことを理解できる人がたくさんいるよ、と私は感じていた。もしかしたら、彼がもっと長く生きられたら、そこで彼の人づきあいが徐々に生まれていたかもしれなかった。
Imakokoカフェは駅前のほんとに小さなコミュニティカフェで、茶の間ほどのごく小さなスペースながら、世界と繋がり、テレビではやらない大切な情報を静かに発信し、ライブもワークショップも映画の上映会でもなんでも行い、人と人が出会う場所だった。いつ行っても、居合わせた人同士で会話が始まり、空いているときは店主のせっちゃんとまったりおしゃべりするのも深くて心地よい時間だった。今日は、ワーホリで5年間オーストラリアに暮らし、免許の関係で一時帰国している青年と、女性のお客さんに出会った。
Imakokoカフェ店主のせっちゃんは、ひょうひょうとしながらも世界の情勢に常に関心を向けている女性で、知識が豊富で文化芸術を愛する。子育てする女性や子どもたちにも優しく、弱い人の味方である。彼女は、彼の家の遺品整理に二度訪れてくれて、彼の蔵書のうち、特に漫画をとても懐かしみ、興奮して眺めた。遠慮がちに、永島慎二の3冊と石森章太郎の1冊を持ち帰り、それは今でもImakokoカフェのせっちゃんの本棚に並んでいる。せっちゃんの若い頃の漫画の趣味は、彼の趣味とかなり合っているようだった。生前に出会ってもっと会話をしていれば楽しかったろうにと思う。また、せっちゃんは彼の作った家具のうち、製図デスクに並んでもっとも力作だと思われる棚を自宅に持ち帰ってくれた。
Imakokoカフェの常連のおじいちゃんで、彼と同じ苗字のIさんという人がいる。かなりよく来ていて、私も3,4回出くわしている。彼よりもだいぶ年上だけれど、とにかく好奇心旺盛でよくしゃべるし人の話もよく聞く、たいへん元気で物知りのおじいちゃんだ。今日来ていた女性も、Iさんとカフェでよく会うので仲良しになったということで、Iさんの話になった。
私は彼が亡くなってまだ日が浅い頃に初めてIさんと出会った。Iさんの奥さんは9年前に亡くなられたそうだったが、なんと、奥さんのペンネームが私と同じ名前だった。Iさんの奥さんが「マリ」というシンクロに、そのときの私はいたく感激した。その後、Iさんはカフェを通して奥さんの描かれた詩画集と、奥さんの作品のポストカードを私にくださった。美しいポストカードは、まだ解体前の彼の家で、彼の遺影の周りに飾らせてもらった。
彼が若いときに作った、真っ赤なはっぴが2着あった。彼がおそらく足踏みミシンで縫製し、背中には彼の名字をデザイン化したロゴがアイロンでプリントされていた。私が2着持っていたが、彼と同じ苗字であるIさんに1着もらっていただいた。Iさんはとても喜んでもらってくださった。そしてIさんは、Imakokoカフェにある彼の漫画をすべて読んでいったと、今日せっちゃんから聞いた。あの好奇心旺盛の眼で。どこまで進化するのかわからない、80代後半(⁉)のIさんだった。
Iさんのお友達の女性とせっちゃんと、そんな会話をしていて、同じ苗字が紛らわしくて、
「え、それはどっちのIさん?」
と女性が聞くと、
「生きているほうのIさん。」
とせっちゃんが答える場面もあり、なんだかまるで彼も一緒にその場にいる様な錯覚を覚えた。
ああ、ここにはあなたを受け入れる同質の魂たちがたくさんいるよ。
本文では第20話で、マリがF町のパン屋さんのパンを定期購入しているカフェとしてちらりと登場しています。この後は、一度だけ彼と一緒に行く場面にしか出てこないかもしれませんが、静かに温かくこの物語を支えている存在です。
※ヘッダー画像にはchamlandさんの作品を使わせていただきました。Imakokoカフェの本棚ではありませんが。