【知られざるアーティストの記憶】第22話 二人の共通するキーワードと墨汁の正体
第4章 入院3クール目と4クール目の間
第22話 二人の共通するキーワードと墨汁の正体
「F町で、私は本当は自然農をやりたかったんだよ。」
と、彼は自らの核心部分を語り始めた。
「自分の理論に基づいて芸術を展開しても、生活の基盤を都市構造に立脚させては説得力がないから。」
彼という人は、どこまで自分の信念や生き方に妥協がなく正直なのだろう、とマリは改めて感心した。
「自然農だったら、不耕起の福岡正信さんの本を読んだことがありますよ。私は学生時代には農業経済学を学んでいて、有機農業や自然農法をテーマに研究をしていたので。」
マリの口から福岡正信さんの名前が出てくると、いつも冷静な彼が珍しく目を丸くした。彼の本棚にも福岡正信さんの『自然農法』があった。
自然農は実践理論でありながら、思想、哲学の側面を切り離すことができない。彼は実践側、マリは研究側という違いはあっても、その思想に強く惹かれたことに変わりはなかった。
マルクス、フランスと来て、今度は自然農。24歳違う二人が人生の中で拾い上げてきた共通するキーワードが、これで三つになった。価値観や思想を形づくる太めの柱がこの3つで、もっと些細なシンクロはいくつもあった。
「私の母親の親友がいたんだよ。うたごえ運動の創始者のオペラ歌手の人で、調べたら出てくるよ、奈良恒子さんと言うの。しょっちゅううちへも遊びに来てたよ。」
この話にはマリがどきんとした。マリは大学生の頃にうたごえ運動に少しだけ参加していて、今でもその時の仲間とは繋がっているからだった。うたごえ運動も思想である。創始者の関鑑子さんとともに運動を立ち上げた第一期生の一人が奈良恒子さんだった。その思想を受け継いだ遥か後輩がマリたちで、彼の母は奈良さんの茶飲み友達だった。マリは彼のお母さんに対して、人としての同質性を感じずにはいられなかった。
もうとっくに彼の家の前に着いても、二人の話は尽きなかった。お互いの共通点の多さに静かに興奮しながら、二人はお互いの顔を見合った。
彼がマルクスを通して経済学を学んだのは、それが目的ではなく、若い頃の自分の疑問を解決するために触れたのだという。そこまで自分の人生に妥協なく真剣に向き合う人でありながら、彼のこの深い諦めは何なのか、マリには理解できなかった。
30代のときにF町で夢を邪魔された体験は、おそらく彼の人生にとって決定的な出来事だったに違いないとマリは察した。この「事件」については、彼は何度も繰り返しマリに話したが、それはだんだんと具体的な事柄に及び、まもなく彼はその全容を明かした。そのことが明らかになるにつれマリは、彼の病気の原因は、彼がこの出来事に対するマイナスの感情を手放さずに抱え続けていることに違いないと信じるようになっていった。
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