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ぼくはサラリーマン。残春の懇親会編①

ノート。

私はサラリーマン。
サラリーマンというのはしがない生き物だ。
しがないを具現化したものがサラリーマンだ。
なのに、いまは小学生のなりたい職業No. 1がサラリーマンだという。


つまり小学生は私になりたいのだ。と言っても過言ではないのではないだろうか。













いや、過言だ。

過言すぎた。
ダメだ。。
こんな冒頭で、数行も消費してしまった。
成人男性になってはや数年が経つというのに、ほんと情けがない。
ただわたし自身そこに焦燥感のようなものはない。
なぜなら、休日に睡眠とブレイキングダウンの切り抜き視聴をひたすら交互に取るような奴は、情けがないと相場で決まっているからだ。


ハア。
ただビジネスメールとは違い、とことんダラダラ書けるのがnoteの良さということだけは私は知っている。

なので、日々起こったサラリーマン事変をここに書き記すことにした。
なぜなら書き記さなければ、昇華出来ないほど毎日何かしら起きるから。
起きなくていいのに起きるから。
とにかく起きる。
まぁなのでツラツラ書かせてもらうので、温かい目で読んで頂けると、とても有難い。

最終的には将来このnoteをつまみに、酒でも飲みながら、自分の子どもたちへ「お父さんはしがないということを生業にして日々生活しているんだよ」と誇らしげに語ってやりたい。



5月。
今日は某得意先の懇親会があった。
というのもコロナで最近はまったく懇親会が出来ておらず、3年ぶりの開催になるらしい。
ただ規模は縮小して、幹事が選抜した約10名がお呼ばれした。
これがまた厄介で、私の職種が仮にアイドルならば、選抜となれば飛んで喜ぶのだろうが、私の職種はサラリーマン。しかも何と言ってもしがない。極めてしがない方の。
つまり、嫌なのだ。

ここで基本的に知っててほしいことは、しがない者は初めて出会う不特定多数の人とは、懇親をしたくないのだ。これはしがないの万物に言えると思う。



まぁそんな事言っても、私もサラリーマン。
サラリーマンに懇親会はつきものである。
ウダウダ書いたが、これはパフォーマンス。
正直慣れっこである。
ビシッと集合時間15分前に店に行けば1番乗りだろう。
余裕綽々で最寄駅より私は店に向かう。

懇親会が嫌だとはいえ、
サラリーマンになっても、1番が待っているというのはどんな事案であれ、気持ちが良いものだ。
最近パーマを当てた髪も風になびかれて、まるで喜びを一本一本が表現しているかのようだ。

わかったわかった、落ち着いておくれ。
キューティクルとは無縁の髪の毛を撫でて、冷静さを取り戻させる。
角を曲がれば、今日の宴場だ。

よし!
少し膨らみをもたせて、角を曲がる。
ん?なんだ、この眼前の光景は?
目を凝らして見てみるとそこに得意先の役員2人を除いてお呼ばれ組は、全員店の前に揃っていた。
こりゃ参った。。。





何が起こっている。。。

ただ心配しないで頂きたい。
サラリーマン生活5年という月日は、そんな事では動じない精神を身につけるのには十分だ。
何食わぬ顔でしれっと幹事に到着を伝える。
「すみません、、遅くなりました、、、」
「はいはい、君若いから社長の隣ね。」




なんだそれは。。。聞き間違いか?





「若いから」と「社長の隣」が、結びつくということを少なくとも俺の地元の義務教育機関では教えてくれなかった。

日本の教育の欠陥をこんなところで垣間見るとは。。。
胸に抱いた一抹の不安は現実と化す。




次回、店内突入編へ。

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