帰国子女の後悔

※この記事の前提は先日書いた記事の「筆者のスペック」欄を参照ください。

私は、何者にもなれませんでした。

子供時代の私は、帰国子女という肩書を手に入れた事で最強になれた、と思っていました。英語が出来ることは将来必須だから、と。
そんなことはありません。最強とは、世の中の数多のスキルを十分に身につけながら、成長し続けられる人間のことです。

私は、みんな違ってみんないい、これは世間に蔓延る欺瞞だと考えています。この年になれば自ずと分かる事ですが、それが本当に罷り通る世の中ならば親ガチャ、や階級再生産なんて言葉は生まれてこないはずですよね。

私はそれに気づくのが遅すぎました。自分らしく頑張っていればいつかは幸せを掴めると思い今日まで生きてきましたが、そんな綺麗事で自分を慰め続けた結果がこれです。そりゃあそれなりの学歴や英語力はありますよ。これだけは自分の努力の結果だと思いたい。しかしたかだか中堅上位。これではただの再生産される「しがないサラリーマン」です。幼い頃の我儘な理想とは程遠い。

私は、あまり他人が好きではありません。こんな文章をネットに書き捨てている時点でお察しかもしれませんが、昔はいじめられっ子でした。幼少期の発達の遅れと、海外から帰国した後、上手く馴染めなかった事が原因です。あんなに友達が欲しかった私は、試行錯誤の末、級友を沢山作れるようになった頃には、何故か友達付き合いを徐々に忌避するようになりました。無理が祟ったのですかね。頭のいい友達以外とはあまり付き合いたくない、と。

私が疲弊した末に現実逃避をしたのがオタク文化です。が、最近はそれに酔えなくなってきました。残酷ですが、オタクの世界でも輝けるのは才能や胆力を持ち、努力し続けた人間だけです。負け続けて、負け続けて、恨み節を捲し立てている私には、今は、輝いている人間を心から愛せない。

私は典型的な学習性無力感に分類されると思います。が、世間的にはこんなのただの言い訳でしかありません。望む生活を手に入れるためには、例え報われなくても努力し続けねばならない、これは資本主義の鉄則ですね。もう闘志は尽きかけていますが、もう少し足掻いてみようかなと思います。

私に対してアドバイスや叱咤激励、批判等がある方はコメント欄までお願い致します。


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