#10 noteの経験談が、私の力になる
一つ前に投稿した記事
【#9「不登校」の親の私の辛い、を分解してみる】
この記事について、時間が経って振り返ると、「辛い」「苦しい」と感じるのは、母の私側の気持ちで、子どもたちの思いは入っていないなあ、と。
どんな悩みも、自分本位になると、わがままで自分勝手な感情が湧き出てくる。余裕がなくなるから、相手の気持ちまで想像できずに、自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう。
記事を投稿しつづけることで、「すき」をしてくれる方々を中心に、記事を読ませてもらい、不登校に対する知識や考えが、アップデートされていく。
(とても感謝。皆様いつもありがとうございます。)
その中で、出会ったnoteの一つがこちら
「学校に行く意味とは?」
ほんと、この質問に対する私の言葉がなかなか見つからないでいる。
学校を行かないことを決めている次男は、始めの頃
「なんで学校に行かないといけないの!」
「勉強はタブレットでした!(この頃はしていたの。懐かしい)同じことを聞いても意味がない!」
親の私の答えは、
「学校には友達がいるから、いろんな考えに出会えるんだよ」
とか
「みんなが行っているんだから」
とか。
なんと説得力のない、中半端な答え。
我ながら呆れてしまうけれど、本当に、「学校」とは、「集団生活をする場所」「同じ年齢の多くの人と過ごすことのできる場所」「言われたことを守ることを求められる、我慢を求められることの多い場所」であることも間違いではないと思っている。(今は、多くの先生たちの意識の変化で、一方的な授業から、子どもたち自身が考える、交流し合う授業展開が増えている、から先生との相性によっては、楽しい時間が多いことだって事実。)
息子たちが不登校になり、学校は何のためにあるのか、を考えるようになった。
きっと、悩み続けることが、子どもたちのためになるだけではなく、私自身ももちろん強くたくましくなるし、教員としてのレベルもアップするだろう。レベルアップを、これから出会う人たちとの力に変えていきたい。