「夢」にしてしまったら、きっと叶わない|小さきアプリ屋の悩み
私は小さい頃から夢や将来への希望が無くて、そもそも自分が何故この世に生きているのかすらも不確かで日々揺蕩っていた。
大学生の時、「夢はシステムエンジニアになることです」と語っている就活生がいて、教授らに「システムエンジニアは難しい」と窘められていた。
私は学生時代、プログラミングを一切学ぶこと無く、IT バブルの時、職に困って、無学のまま IT 業界に飛び込んだ。十数年が経って、今ではどんなアプリでも開発できるスキルを身につけたが、私の夢は、システムエンジニアではない。
大学生の時に耳にした就活生のあの夢は、叶ったのだろうか。最終的に、教授らに囲まれて、現実を見ろと責められて、諦めそうな感じだった。
私の知人で、システムエンジニアに憧れて夢を見ていたが、結婚し、子供ができるので、激務と噂のシステムエンジニアは諦めたという人がいた。私に対して、本当に憧れの人を見つめる目で「システムエンジニアとしての日々が羨ましい」と何度も言われた。私の夢は、システムエンジニアではない。
自分のやりたいことが分からなくて、職に困って、数年、パティシエだった時期がある。ベテランの職人が口にした「この仕事が好きでも嫌いでもない、夢の職業だった訳じゃない、仕事がこれしかなかったから、あれから数十年もパティシエを続けている」という言葉、これが自分にも染みる経験年数を重ねてしまった。
きっと、「夢」にしてしまった時点で、それは叶わない。私は、生きるために、システムエンジニアになって、必死にしがみついて、毎日、やっとの飯を口にするしかなかった。
ただその日々が、当たり前になってしまっただけだ。「夢」に見た人にとっての、憧れの存在ではない。私にとって「夢」ではなかったから、今、誰かの「夢」の職業に就いているだけだ。
夢だから頑張れたのではなく、夢ではなく生きるためだから頑張るしかなかった。
敢えて夢を絞り出せと言われれば、私は小説が好きなので、一度は、文壇に上がってみたいと思う。村上龍を敬愛しているので、小説家として対談してみたい。だが、私は小説を書いていない。夢とは、そういうものなのだ。