illust.0 "正義と害悪"
はじめに
みなさん、おはこんまるわ。
くさまる。です
新年度が始まり、4月も中旬にさしかかったなか
相変わらずルーズなぼくは投稿を忘れていました
期待している人はいないと思いますが笑
それはさておき、
今回はぼくのなかでときどき渦巻いているものについて
呟いていこうと思います
きっと誰もがふと感じることだと思いますが…
満たされないもの
"承認欲求"
SNSでならではの"自分という存在を認めてくれる"という錯覚に陥る
それが決して悪いことではない
いいねの数、自分をほめてくれるコメント、それらがどんどんと増えていくうちに
"もっと自分を褒めてほしい"
"認めてほしい"
"こいつの方がたくさんいいねがついててずるい"
嫉妬と憎悪、負の感情が生まれてしまう
"それでも自分はがんばっている方だ"
と限界を決めて諦めてしまう
そしてまた、こうして繰り返されていく
人間って面倒な生きものだとつくづく実感する
好かれる喜びと幸せ
この世界のすべてから好かれることは不可能だ
それと同じで
すべてから嫌われることは"ない"
本当に嫌われるとすれば、それはきっと世界を滅ぼさないかぎりないだろう
"好き"と思ってくれている人が
ひとりでもいてくれることが幸せなのだ
嫌われる恐怖で怯えているよりも
好かれる喜びと幸せで生きていきたい
自分のなかで"好き"と認めてくれる存在がいる
それこそが、幸せなのかもしれない
ありがとうの言葉は皮肉だ
ぼくのSNSのなかで"Tik Tok"という動画投稿できるアプリがあるのだが
とあるコメントのなかで
なんてことも書かれていた
ぼく自身は有名でもなければ、すごく絵が上手いわけでもない
最初は趣味ではじめた投稿で、何より自分のイラストを見てほしい、みんなのリクエストに答えたい、そんな軽い気持ちだった
こういうコメントがきたときは腹も立った、悲しかった、疑問に思った
だけど、どうしてコメントをくれるのか
"害悪(アンチ)は構ってほしいからコメントをするんだ"
"自分が下手だから、妬んでるんだ"
"本当に嫌いだから、陥れたいんだ"
"誰でもいいから、ストレス発散したいんだ"
いろいろと考えてみたけれど
"動画やイラストを見てくれなかったら、こういうコメントはできないんだろうな"
煽るようなことを言うけれど
"動画やイラストを見た時点で、きみら(害悪)の負けだ"
感謝の気持ちなんて持てるわけがない
実際に傷ついているのだから
"じゃぁ、害悪は傷ついてないって言いたいのか"
そこまでぼくはお人よしではないから、それはきみらの問題だ
だけどほんとのことを言うと
"お互いさま"
肯定の言葉も、否定の言葉も、自分の正義を貫くのも、お互いの気持ちのぶつかり合いで、分かり合えることもあるだろう
分かり合えいないまま終わってしまうこともある
少なくとも、ぼくとぼくを否定する存在は分かり合えないだろう
ぼくはその言葉を一度、飲んで吐き捨てる
だって、ぼくを好きって言ってくれる存在といた方が
ずっと幸せだから
最後に
はじめは何を書こうかと悩んでいましたが、いろいろと思い返していたらふつふつと苛立ちが込み上がってきました
ここはあくまでぼくの気持ちをさらけ出す場所と考えているので
肯定も否定もいりません
ただ、少しでもぼくの気持ちを理解してくれたらいいなと思います
分からない人はそれでもよいでしょう
ということで
また気ままな投稿をお楽しみに