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#ギネス子さん のことを思い出しておく

思い出しながらツイットンしてたら、むしろnote向きかなと思ったのでこっちにまとめておく。

西国分寺のNPOのシェルターからノロワレハウスにきた初日、最初に撮った写真がこれである。

#ギネス子さん は、いまノロワレハウスにいる #すず音子さん#ビャッコくん と比べてもっとおっとりした、しかし肝の据わったやつだった。

「事故」のために一気に死に瀕して、何年もかけて振りまいて行くはずだった生命の輝きを一気に出し切らんばかりにもがいてもがいて生きようとしたあいつから、私はとても大切なことを教わった。今際の際の最期のひと鳴きはいまでも脳裏に焼き付いているし、近くの動物病院で宣告を受けたときには人目もはばからず文字通り膝から崩れ落ちてしばらく泣き腫らした。大切なことをたくさん教えてもらいながら、あいつに大して何もしてやれなかったではないか。そんなことを考えていたかどうか、いまとなってはもうわからない。とにかくいま目の前で起きていることが我慢ならなかった。

「事故」に関して事情を話しているうちに脅迫してきた某国内メーカーとADRで争うことも考えたが精神的・経済的負担に耐えられないだろうと思い諦めた。代わりにもともと #ギネス子さん がいたシェルターの運営元であるNPOにそのメーカーについて「情報提供」して、せめてもの慰めとした。

深大寺の側の動物霊園にあいつを連れてきた日、2013年8月3日がとても暑い日だったのはよく憶えている。炉に飲み込まれて行くあいつに向かって、私は気がついたら全力で手を振っていた。炉から出てきたあいつを見て、「あーあさっぱりしちゃったなぁ」と思ったことも思い出される。

さっぱりしたあいつは、霊園に納めずに連れて帰ることにした。そしていまもノロワレハウスにいる。 #ギネス子さん がいる部屋に #すず音子さん といっしょに入ることもあるし、最近なら私が仕事で家にいない間には #ビャッコくん がその部屋にいる。彼女や彼を見て、 #ギネス子さん が何を思うやら、「なんか賑やかな後輩が入ってきたな」なんて思っていてくれればいいな、とあの部屋に行くたびに思う。なんなら、その部屋に入るたびに「おつかれー」なんて声をかけてみたりもする。ツボに。

そういう意味ではまだまだ「生きてる」。

でも、ほんとうなら、といまでも思う。


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