005.錫蘭食堂cojicoji|金沢徳史|CURRYgraphy
小さいころ、ビーズアクセサリーを作ることに全精力を傾けていた。スワロフスキーのキラキラやチェコガラスのつやつやを編み込んで、宝石を組み立てるみたいにネックレスやブレスレット、懐かしき携帯ストラップを作った。編み図を見れば、何でも作れると思っていた。一粒ダイヤのネックレスの価値なんてまだわからなくて、ぴかぴか光るビーズがたくさんついた私のアクセサリーがこの世で一番の宝物だと思っていた。ユザワヤは作品発表の戦場。母お手製のお姫様ブラウスにマリーアントワネットの首飾り。ビーズ売り場の店員さんが「自分で作ったの? すごいね~!」と声をかけてくれると、目を三日月にしてそれはそれは喜んだ。
好きで、好きで、仕方なくて、図書館で本を借りたり、wordのオートシェイプで編み図を作ったりしながら、独りで学び「私らしい」色遣いや「私らしい」形を確立していった。楽しくて、調べることも勉強することも、何も苦ではなかった。
今回お話を伺った金沢さんも、昆虫、植物、動物などが大好きで、料理も「植物」だと捉えているそう。「食べられる植物があって、めっちゃ嬉しい」という言葉が印象的で、野菜につく虫までも愛でる料理人。
この人もまた、我が道を進むタイプ、同じ匂いを感じた。
はじまりは、偶然の出会い
もともとは東京で働いていた金沢さん。洋服が大好きで、スタイリストを目指していた。地元・水戸には一時的にいるだけのつもりで、なんとなくフリーペーパーの仕事をしていた。その時に偶然出会ったのが、「カリリーブス」というスリランカ料理のレストラン。アルバイトの女の子から、「うちの店、全然お客さん来ないんで、ちょっと手伝ってもらえないですか」と言われ行ってみると、確かに閑古鳥が鳴いている。女の子が言うには、「かろうじてアルバイト代は出ているけれど、スリランカ人のシェフと二人で気まずいし、これでいいのかわからない」。そうは言っても広告を打つような資金もなかったので、ひとまずは一緒にチラシをつくって、できることを探った。大学生の女の子がそんな風に考え動く姿に感心して関わり始めたものの、現実は厳しく、やっぱりしばらくの内に閉店が決まってしまった。
閉店が決まっても、それで終わりにはならなかった
「じゃあ、僕そのままやろうかなと思って」
カリリーブスのシェフにそのまま料理を作ってもらい、自分は経営側に回るつもりだったが、フリーペーパーの仕事を辞め、資金集めに奔走している間に、シェフは新しい職を見つけて去っていった。
「飲食店なんかやったこともないし、料理も未経験。お金もないし、もうその当時30歳だし、困ったねって」
県内で働くシェフの元に「もう一回やろうよ」と何度も通ったが良い返事はもらえず、最終的に見ず知らずのスリランカ人シェフを紹介してもらって店を始めることになった。
今でこそ笑い話、とでも言うように明るく話してくれる金沢さんだが、当時の状況を想像すると胸が痛い。
はじまりはバタチキ
想定するお客さんは近所の大学に通う学生。当時人気があったのは大学のすぐそばにある500円定食の店で、まともな価格では戦えなかった。最初はスリランカ料理ではなく、バターチキンカレーとナンで600円からのスタート。インネパならぬインスリ? 時たま宴会の予約も入るようになり、多いときはナンを焼くシェフ1人と調理のシェフが2人で3人のスリランカ人スタッフを抱えていた。
料理はやりながら見て覚えようと思っていたが、外国人を3人も雇えば、ビザだの何だのの問題から、それぞれの家族のこと、友達の果てまで面倒を見なければならなくなり、行政書士張りに書類に追われる日々。
お店がそこそこ忙しくなると、スタッフからの給与交渉も始まった。人間関係は良好で仲良くやっているのに、例えば予約の入っている日の朝にシェフが来ない。
「多分向こうとしては、僕が料理何もできないし、見たことないの知ってるし、彼がいないとこの店は続かないって分かってるから、給与あげてくれないんだったら、俺は他のところで働くって決めてきたって言われたんですよ。最初はそれを真に受けてたので、ラスト1ヶ月の間に料理だけ教えてくれたら何とか引き継いでやるって言ったんですけど、彼からすれば、本当は次の店が決まったっていうのは嘘で、僕との交渉がしたかっただけ。料理を教えてくれって言っても、一切教えてくれなかったんですよ。そこまでやられると、もう一緒にはやっていけないと思って、交渉決裂。僕は一人取り残された形で料理は全くできないし、でも3日後に予約が入ってるんです。ヤバいと思って。とりあえずこれは、ここの予約をキャンセルするか、自分で一回やってみるか、どっちかにしようと思って。」
覚悟の定まった転換期
結局、ネットで集めたレシピを頼りに間の2日を仕込みに充てて、お客さんを迎えた。初めての料理は惨憺たるもので、「こりゃいかん」と逆に決意が固まった。
「もう何を言われてもいいから、とりあえず1年頑張って作ってみようと思って」
スリランカ人の友達や知り合いに、何度か料理を習いに行った。普段食べている料理を3~4品、目の前で作ってもらったり、一緒に作ったり。ただの豆カレーやチキンカレーなど、今考えれば全然初歩的なものだったけれど、何とか、何とかやってる延長線上に今があるという。
「水戸にジャマイカ系のカレーみたいなものを出してる店があると聞いて、そこの人はジャマイカに行ったこともなく自分の想像で作っているんだって言ってたんですよ。それめっちゃいいじゃん! って思って、僕もせっかくだったらもうレシピ検索するとか誰かに教えてもらいに行くんじゃなくて、もう想像しようと思って。それでしばらくやって、正しい答えは何年かやった後に教えてもらった方がいい。自分でいろいろやってみた結果と、作ったものと、教えてもらったものがあったら、こっちの方が面白いかなと思って。仕事は何年もやっていかなきゃならないから、すぐ飽きちゃってもしょうがないし。そんな感じでやってますね」
「始めてからもう何年かずっと泊まり込みで、寝ないし、仕込みとか試作とか、作ってみてこれ出せねえじゃんと思ったらもう捨てて、もう一回作ってみたいなので、繰り返しです」
単純明快、シンプル is ベスト
今作っている料理と、前のシェフが作っていたものでは、同じカレーだとしてもまるで違っている。
「昔のシェフは鶏ガラスープを入れたりとか、僕からすれば、それはしない方がいいのにな、みたいなことがいっぱいあったんです。僕は単純に”野菜とスパイス”みたいな料理が好きなんですよね。野菜とか植物。
例えば、ラーメンってホントうまいけど、性欲とか食欲みたいな、一番最初の欲求みたいなものにすごく近いと思ってて。今うちが作ってる料理は、素材そのものの味とか香りを”味わう”料理。スリランカの料理も人も好きだから、そこに魅力を感じているところとか、それが知りたいなというのはずっとあると思います」
スパイス遣いの感覚を身につけるまで
最初に覚えたのは、肉や魚の料理に使う、トゥナパハというミックススパイス。それを作ること自体が、楽しかった。
「自分で選んだスパイスを見てるだけで楽しいんですよ。植物の種子か、実か、見てるだけで楽しいんですけど、それぞれに香りがあって、それをローストして混ぜて粉にして、それを使って料理するってめっちゃいいなと思って」
野菜に対してのスパイスと、肉や魚に対してのスパイスの使い方も、はっきり分かれている。
「例えば野菜に使うスパイスは、植物そのものの香りがあるから、わざわざスパイスで香りをつけることってそんなに必要ないものが多くて。多少添えますよ。でも野菜に関してはそのもの香りをできれば出したいなと思ってて。肉、魚に関しては、ちょっといろんなスパイスを入れてみてやってますね」
「おいしい」の真理とは
「最初は自分で料理できなかったから、理屈を作るしかないと思っていたんですよ。自分がどんな店でどんな料理を作っているかロジックを組み立てて、人を説得するしかないなと思っていたんです。でも例えば自分が育てた野菜を食べるとなれば、種を植えて芽が出て、育ってきて嬉しい、実がついてすごいと感動するし、めっちゃおいしいじゃないですか。結局、それが真理だと思って。例えばスパイスや野菜がどんな風にとれるのか、どんな環境で育っているのか見に行くとか。見に行けなくても、例えば農協みたいな直売所とかでよく買い物するんですけど、作った人と話してみるといろんな話が聞けるんですよね。今年はこういう風に虫にやられちゃってねとか。こういう風に野菜って作ってんだよ、みたいな話聞くと、すげー美味しく感じるんですよ。結局それが大切なんだなって思って」
金沢さんが野菜やスパイスを集め愛でている姿が、私のビーズの時間と(僭越ながら)重なった。東京に住んでいる今、ユザワヤではなく浅草橋のビーズ問屋に通うようになり、上には上がいると悟った私は過剰に着飾ることを辞めた。でも、新色や新型のビーズやパーツを見つけると、一つ二つ買っては新しいデザインを考えて、派手さはなくても気に入ったアクセサリーを自分のために作っている。今生きている場所に、自分に、似合うものを研究する時間はやっぱり楽しい。それは、ダイアモンドや真珠を目指すことを諦めたわけじゃない。我が道を見つけて、新大陸を切り開いているのだ。
今週の雑記
おいしいものをおいしいって、美しいものを美しいって、気づけることの大切さ。つい味付けや調理法を重視してしまうけど、旬の野菜、採れたての野菜の「そのもの」のおいしさたるや。つやつやのナスの紫色、茶色の土の中で育ったとは思えないニンジンの橙色の美しさたるや。
感覚ってすぐ麻痺してしまうから、過剰になりがち。塩胡椒で十分なのにパルミジャーノを削り出し、何にでも半熟卵をトッピングする昨今、本当に素材の持つそのものの魅力に気づけているだろうか。
我が家には、うさぎの女の子が一羽いる。ぽよちゃんは、おいしいとおしりが震える。おいしくておいしくて、震える。大好きなのは、にんじんと明日葉とロメインレタス。連日あげていたら一軍落ちしたのが紫蘇。
にんじんを持って近づくと、ケージの中で大ジャンプ。匂いだけで気が狂ったようにはしゃいで、扉を開けると一目散に飛んでくる。そして、おしりをぴくぴくさせながら貪り食う。飢餓状態なのかと疑うほどの勢いで貪るのだ。
ぽよちゃん歓喜のにんじんを、生クリームとバターをたっぷり入れたスープにしてしまった(デブ)。夫の畑で採れたばかりのにんじん、剥いた皮ですらぽよちゃんは狂喜乱舞していたのに、人間は罪深い。
金沢さんの取材メモを読み返していて、あのにんじんは塩胡椒にクミンを添えるくらいでよかった、とはっとした。もちろんスープにするのもおいしいけれど、採れたてのおいしさを感じる貴重な瞬間を逃してしまった気がして悔しい。