女帝、死す


3月の初め、我が家の女帝だった祖母が亡くなった。91歳だった。

祖母は2月2日に急に倒れた。
勿論その前から段々と弱ってはいたし、足腰が弱くて家の中でも歩行器を使って歩いていた。でも頭はいつもクリアで、呆けちゃったのかなと思うことは一度たりともなかった。亡くなる前日までカツ丼食べてたし。
だからこそ、入院したあと結局一度も意識が戻らずにたった1ヶ月で亡くなって、心底びっくりした。

会う度に弱っていく祖母を見るのがつらくて、全然逢いに行かなくてごめんね。お土産で買ってきてくれるひやしあめ、大好きだったよ。嫁に行く姿が見せられなくてごめんね。直階取れたよ!と報告したとき、誰よりも喜んでくれて嬉しかったよ。
伝えたいことは山ほどあるのに、なにも言えなかったな。

ただ、倒れた時は苦しそうな表情だったのに、病院から自宅に帰ってきたことがわかるのか(これは私たちがそう思いたいだけかもしれない)、安らかな表情で亡くなって、それが救いだった。


話は変わるが、私の祖母は決していい人ではなかった。
孫の私には優しかったけれど、私の母親に対する嫁いびりは凄まじかったし、人を傷つけるような言葉を平気で吐く人だった。それが私が女帝だと彼女を表現する所以である。
けれど、私にとっては優しくて気前のいいおばあちゃんでもあり、血を分けた存在でもあり、そして私の母親をいじめる憎むべき存在でもあり、たった一人なのに、色んな感情を抱かせる人だということと、亡くなって初めて向き合うことになった。同時に、家族それぞれが抱いてる思いと向き合うことにもなった。
私としては亡くなったことは悲しくて、けれど母の心情を思うと祖母の死を悲しむことが、母への裏切りのようにも感じられて、色んな感情がごちゃ混ぜになりすぎて体調を崩してしまった。込み入った事情すぎて誰にも相談もできない(し、したくない)し、親とも大喧嘩して、誰とも話したくないくらい塞ぎ込んでた。


結局そのループから抜け出せたのは、お通夜とお葬式を経てからだった。
諸事情があって亡くなって1週間後にお通夜とお葬式をしたのだけど、あの儀式は故人を送る意味が半分、遺された人が心の整理をする意味が半分なんだと知った。
棺がお釜に入る時、もうこれで本当にお別れなんだなと思ってすごく悲しくなって大泣きしたのだけど、お骨を壺に入れる時には不思議とすっきりした、見送ったなという気持ちだった。

家族が亡くなることは難しい。特にうちのように特殊な家の場合はそうなのかもしれない。
悲しみだけじゃない、それぞれの思いと無理矢理向き合って、それを飲み込まなくてはいけない。怒りだったり、恨みだったり、そんな負の感情を相手に向けることはできない以上、自分でどうにかしてあげないと自分が飲み込まれる。その飲み込む手伝いを、お通夜とお葬式はしているんだと知った。

故人を弔うことは、生前してあげられなかったことへの後悔を払拭する行為であり、亡くなったことが信じきれない私たちに永遠の離別を突きつける行為でもあるのだと思う。弔うことは、私たちが前に進むために必要なことだ。

一連のお別れの儀式が終わると、体調も回復したし、親とも普段通り話せるようになった。自分の中の色んな思いに一区切りついたんだと思う。


まだまだ家族で乗り越えなきゃいけない波乱はありそうだし、様々なことを解決せずに亡くなった祖母へ文句を言いたい気持ちもないわけではないけれど、どうにか家族でやっていかないといけない。頑張ろう家族。


色んな気持ちの備忘録として。

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