カルダモンの世界 《歴史 研究編》
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【カルダモン歴史研究】
●分類
カルダモンには、カレーで使うグリーンカルダモンの他に、似たような仲間がいろいろあって、ややこしい。
現代で、「カルダモン」は、大別すると、2つに分けられる。
1、グリーンカルダモン(ショウガ科、ショウズク属)
2、ブラックカルダモン(ショウガ科、アモムム属)
ブラウンカルダモン/ビッグカルダモン/ネパールカルダモンなど呼び名が多い。ぱっと見で、グリーンカルダモンとは異なるので、「ニセカルダモン」「カルダモンもどき」などと、さげすんだ呼び方で呼ばれる。
・中国のアモムムは、チャイニーズカルダモンと呼ばれる。花は赤く、熟した果実も茶色。
・タイのアモムムは白い。だからホワイトカルダモンと呼ばれたり、タイの別名シャムを冠して、シャムカルダモンと呼ばれる。
・インドネシアのアモムムは、ジャワカルダモンと言われる。白と黄色の花。
・アフリカのエチオピアのカルダモンは、小粒で真っ黒。現地では、corrorima(コロリマ)とよばれる。が、エチオピアカルダモンとも呼ばれる。他にも、アフリカには、メレゲタというギニアのカルダモンがある。
このアモムムは、アジアとアフリカの熱帯地域に、バラバラ状態で存在しており、ある意味「ご当地カルダモン」として、世界中にあるわけだが、昔の人は、アモムムとカルダモンをはっきり分けており、1000年以上古い料理のレシピでは、一つの料理の材料の中に、アモムムはいくつ、カルダモンはいくつ、と区別しているものがいくつもあった。
むしろ現代のほうが、アモムムのことを、ほにゃららカルダモンと呼んでいて、さらにややこしくしている。
カルダモンの歴史
●原産地
カルダモン、つまりグリーンカルダモンは、スリランカと南インドの西側、またはマレー半島説もある。おそらく、スリランカと南インドであろう。
●古代インドのカルダモン
インドでの歴史というと、紀元前1000年ごろ、インダス川流域の考古学的発掘によって明らかになっている。ちょうどそのころは、バラモン教という古代インドの宗教の教義がマニュアル化された時期。バラモン教の中の儀式や薬として使われていたと考えられる。文字として記録が残っているのは、紀元前500年頃の薬としての使い方を、紀元前100年代にまとめた書物(医師スースルタ2世が書いた)に出てくる。そこには、カルダモン、生姜、胡椒、クミン、マスタードなどが処方されていたとされている。
カルダモンの効能は、泌尿器(腎臓からおしっこ)の病気を直したり、脂肪を取り除くダイエットのために処方された医療スパイスだった。
また、カルダモンとクローブをビンロウジュの葉に包んで食後に噛むと、唾液の流れが良くなり、消化の助けになる。また、口臭が良くなるとされた。
現代でも嗜好品として利用される、スーパーナチュラルな紙タバコ「パーン」の原型がこれ。僕もインドの田舎のストリートで一度口にしたことがあるんだけど、めちゃまずい。でもカルダモンは使われていたなぁ。
そして、もちろん料理で使っていたであろうことから、もうカレーに入っていたと思われる。
今でこそ、カルダモンは高級スパイスだが、インドは栽培というより、野生のカルダモンがとれるので、、一般人も使っていたのではないか、と予想できる。
インドでは最古の記録が紀元前2世紀なのだが、もっと前の記録がギリシャ、エジプト、メソポタミアから見つかっている。
●最古の記録
最古の情報は、紀元前1600〜1200年に地中海に栄えたミケーネ文明の石版に、カルダモンを表しているであろう記録があり、いろんなスパイスが一覧になった薬のリストに残っていた。
・メソポタミア文明
メソポタミア文明の記録として出てくるのが、紀元前8世紀末メソポタミア文明は(今の国でいうとイラクあたり)当時のバビロニア王国の庭園で、カルダモンが栽培されていたらしい。
何のために育てていたか?もちろん香りを楽しむこととは別に、真の目的があった。時の権力者は、常に毒殺されるリスクがあった為、カルダモンの解毒作用に着目し、解毒の秘薬の材料として使われていた。
王室付きの医者たちはスパイスの防腐性・殺菌力に注目し、カルダモンをはじめとするスパイスを練り固めた解毒剤を調合し、王はこれを常用していた。
しかし、ローマ軍との戦いに敗れた王ミトラダデスは追手から逃れるために自ら死を選ぼうと毒を飲んだが、カルダモンを使った解毒剤を常用していたためにすぐ死ぬことができず苦しんだという逸話がある。なんてことだ!!
・古代エジプト
古代エジプトでは、料理にも香料としても使われていた。香料とは、燃やして香りを楽しむための材料。古代エジプトでは「聖なる香煙」とされ、神殿での祈祷の際にたかれるお香の中に使用されていた。
また、薬としても使われ、消化不良や胃けいれんなどの消化器系のトラブルを鎮める。また、味が受け入れやすいため、他の味の良くない薬に混ぜて使われることもあった。
あとは、どう考えてもウソだと思うけど、カルダモンの種を噛むと歯が白くなる、と言われていたらしい。
・紀元前2世紀頃
紀元前2世紀ごろにはすでにインドから地中海に輸出されていたとされるが、ヨーロッパの人はみんなカルダモンの原産は、シナモンと同じようにアラブだと思っていた。原産地を教えないアラビア商人お得意のビジネス。
この頃になると、ギリシャをはじめとする地中海は、カルダモンだけでなく、アモムムも交易で交換される材料としてリストアップされている。カルダモンは、南インドからアラビア海を渡って船で運ばれた。アモムムは(この場合ブラックカルダモンのことになるようだが)陸路で北インドから地中海にやってきた。
カルダモンを載せた船は、カルダモン以外のいろんなスパイスを運んでいた。この頃すでに、胡椒が超高級品になっており、芥子やロングペッパーを使った偽物が流行ったりしたのだが、胡椒はカルダモンと同じ原産なので、カルダモンが載っていた船と一緒に来た胡椒は本物と見分けることに利用されていたりした。
●ヨーロッパに渡った2つのルート
・バイキングが持ち帰ったカルダモン
現代では、北欧のスウェーデンではカルダモンの消費量が非常に多く、1人当たりの消費量はアメリカのなんと50倍!
このように愛され続けているカルダモンは、8~10世紀にスカンディナヴィア半島に伝わった。この時代に活躍したのは、スカンディナヴィアの武装船団(海賊・バイキング)である。
8?〜11世紀頃に、船を使ってヨーロッパ各地に遠征。街を侵略したこともあったけど、実は交易、つまり貿易を主な活動としていた。
後の時代1492年に、コロンブスが新航路発見。今の北アメリカの島に到達したことで、アメリカ大陸発見とされているが、実はバイキング達はそれから数百年前に、カナダの東に到達していたことが明らかになっている。
というように、バイキングはヨーロッパの広大な地域において、交易したり、襲ったり、とにかく多大な影響を与えた。
この頃の世界の中心と言われているのは、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル。イケイケのバイキング、もちろんコンスタンティノープルを攻略したいので目指します。
バイキングは、海でオラオラやっていたバイキング。例えるなら、サーファーです。その中に陸サーファーもいて、つまり陸路で交易をしに移動していた人たちがいた。
山を越え、河を越え、大移動をして、現在のトルコまで来る。
今のロシアやウクライナを抜けて、黒海から、コンスタンティノープルへ続くルートを作り、コンスタンティノープルを襲撃。でも失敗しちゃう。でもでも、この地で手に入れたカルダモンを母国に持ち帰りスパイスとしての調理法を伝えたことがきっかけといわれています。
ということで、北欧のカルダモン料理、とくにカルダモンのパンには、ビックリするくらいよく使う。
現在、ノルウェーを始めとした北欧ではその清涼感のあるほんのり甘い香りから、ペストリーやパンなどお菓子作りの際にカルダモンが使われていて、毎年クリスマスの時期には街がカルダモンの香りで溢れるらしい。いいなぁ。
・十字軍が持ち帰ったカルダモンルート
ヨーロッパ(特に西側の国々)が、東ローマ帝国の教皇の呼びかけによって、エルサレムを奪還するために中東に攻めた十字軍(11世紀末~13世紀末)が、いろんな文化とともに帰還することでスパイスに触れ、スパイスの魅力に取り憑かれていく。そんな中に、カルダモンもあった。
十字軍の兵隊に好まれた飲料にカルダモンを使った2つの飲み物があった。
1,「ヒポクラス」
蜂蜜入りの濃厚な甘さを特徴とするワインで、香辛料として、シナモン、クローブ、ジンジャー、カルダモンを用いたもの。これは、現代でも飲まれているらしい。
2,「ヒドロメール」
水と蜂蜜とカルダモンを一緒にして酵母発酵させて作るお酒。
ここから、カルダモンの香り成分はアルコールに良く溶けるということと、蜂蜜によく合わせられるということがわかる。
ただ、おそらくだけど、ここから読み取れるのは、「蜂蜜と合う」ということじゃなくて、当時は砂糖を精製する技術がヨーロッパにはなかったはずなので、ヨーロッパの人にとって、甘味料と言えば蜂蜜だったということ。なので、「カルダモンは甘いものと合う」こう捉えるべきかと個人的に思っている。
・カルダモンは媚薬?!
十字軍がエルサレムを中心とする地中海にやってきた頃、そのもうちょっと東のペルシャでは、千夜一夜物語(アラビアンナイト)がまとめられた。
アラビア、インド、エジプトのいろんな物語が集約されているのだが、そのなかでカルダモンは、恋愛感情をおこさせる「媚薬」として登場する。
また、長い間子供に恵まれなかった商人が、カルダモン、胡椒、シナモン、クローブなどを砕いて作った、男性の精力を高める強精剤を服用することで子供が生まれたという逸話が収録されている。
現代でも、千夜一夜物語は、現代でも、子供が読んで学ぶ教科書のようなものだから、今でも、アラビアの遊牧民は、カルダモンは媚薬として効果があると信じられている。
●コーヒーとカルダモン
この中世の時代に、もう一つ欠かせないのが、この地中海と中東の地域で、コーヒーという飲み物が生まれ、そして現代に続く、カルダモンコーヒーが生まれたということ。
まず、コーヒーの普及が15世紀頃。コーヒーにカルダモンを加える習慣は、歴史的背景から推測すること16世紀後半から17世紀初頭(ChatGPT調べ)
カルダモンをコーヒーに加える習慣が始まったのは、おそらく16世紀後半から17世紀初頭のアラビア半島であると考えられる。これは、コーヒーがアラビア半島全体に普及した時期と、カルダモンが中東の料理や薬用に広く使われていた時期が重なるためで、この時期にアラブ社会のもてなし文化の一環として、コーヒーにカルダモンを加える習慣が形成されたと推測される。
この習慣はその後も続き、現在でも中東やその他の地域でカルダモンコーヒーとして楽しまれている。
このカルダモンコーヒー、コーヒー粉の半分〜同量のカルダモンパウダーを使うので一杯飲むのに、カルダモンパウダー大さじ1とか入れる。使ったことの無い量。怖い。
ちなみに、サウジアラビアでは、カルダモンは非常に人気のあるスパイス。貧しい人たちは、食べる米を減らしてでも、カルダモンの使用量を減らさない。と言われるくらい。
理由は、3つ。①体温を下げる効果があると信じられている。②消化を助ける効果がある。③千夜一夜物語のような、媚薬として勢力をます働きがあると信じられているから。今でも!
サウジアラビアでは「ガーワ」と呼ばれる真鍮製のコーヒーポットの口に、割ったカルダモンを数粒詰めてコーヒーを注いで作ったカルダモンコーヒーがよく飲まれ、お客様をもてなす歓迎の飲み物がある。
●とうとうバレた栽培国
大航海時代が来ると、さすがに身元がバレました。インドで胡椒を手に入れたポルトガルは、カルダモンが育っていることにも気が付きます。のちに、オランダがやってきて、南インドとスリランカの植民地化が進んでいく。
ヨーロッパの列強国がどんどんやってきて欲しい人がどんどん増える。
だが、カルダモンは人工栽培されなかった。ジャングルに生えている野生のカルダモンを探して、見つかったらその周りの植物を刈り取り、カルダモンの実が結実するのを待つ…こんなアナログすぎるやり方がずっと続いたので、カルダモンの価格はうなぎ登り。ちなみに、1803年までこの方法を続けた。
●中国のカルダモンの歴史
記録として登場するのは6世紀ごろの「名医別録」。
「カルダモンの種は辛味が激しく、香りも強く、常にこれを食べるべきである」と書かれている。もちろん、すべて輸入品。その後、タイのカルダモン、北インドのブラックカルダモン、インドネシアのジャワカルダモンも伝わったそう。
日本は、古来より中国と交易を行なっていたにもかかわらず、交易品や薬としても記録に登場するのは江戸時代になってからである。
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