「碁」の字について
囲碁を表す「碁」という字について考えてみる。
古事記に見える最初の「碁」の字
日本での「碁」の字の初見は『古事記』である。和銅五年(七一二)正月二十八日に謹上された『古事記』の中に出てくる「於能碁呂島」というのが「碁」という漢字の字の初見となる。
「オノゴロ島」はイザナギとイザナミの国生み神話で最初に造り出された島であり、現在の淡路島付近にあったとされるが具体的な場所については諸説ある。
少し『古事記』の「国生み」神話にについて触れてみる。
伊邪那岐、伊邪那美の二神は海に漂っていた脂のような大地を固めるよう高天原の神々に命ぜられ、天沼矛を与えられる。伊邪那岐、伊邪那美は天浮橋に立ち、天沼矛で渾沌とした地上を掻き混ぜると、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島となった。二神は淤能碁呂島に降り立ち「天の御柱」と「八尋殿(広大な殿舎)」を建てると、結婚して、最初に淡路島を生み、順に四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州、他の島々を生んでいった。
『古事記』の「国生み」を要約するとこうなる。
ここで囲碁史研究家であり囲碁史料蒐集家の南雄司氏が江戸版の古事記を入手され、そのときのことを述べている文があるので紹介する。
囲碁史を少し勉強した者にとっては「古事記」は貴重な資料であるが、筆者はこれまでその原本を見たことがない。今回筆者が入手した「古事記」は寛政十一年(一七九九)版木とした物で享和三年(一八〇三)に発行された江戸版本である。最初に成立してから約一〇〇〇年経っての版本、そしてそれから三〇〇年たった二〇一〇年に筆者はこの江戸版「古事記」を入手した。
江戸版「古事記」を読むとその特徴がよくわかる。全篇漢字であり、その読み方として漢字の横にカタカナで読み字が小さく表示されている。問題の「淤能碁呂嶋」であるが、「オノゴロジマナリ」とカタカナで読み下しているので「碁」の字は「ゴ」に間違いない。しかしこの碁という字はゴという当て字であると考えるのが必然と筆者は考えている。たとえば「後」「五」「互」「午」「伍」「呉」「娯」「悟」「語」「誤」「護」とこれはみな「ゴ」と読むのである。「古事記」では「ゴ」と読む漢字には「碁」が使われていることに意義がある。筆者は「淤能碁呂嶋」は現在の瀬戸内海に存在するのではと考えている。
瀬戸内海に浮かぶ島「淤島」「能島」「能美島」「沼島」等である。そもそも「淤能碁呂嶋」とは「矛(しずく)の末より志ただる塩のつもりて嶋となる」と古事記にあるように、塩の嶋である。瀬戸内はその昔は塩の産地であり、現在有名な塩として「赤穂の塩」「伯方の塩」として残っているのが不思議である。特に「伯方の塩」は瀬戸内に浮かぶ伯方島から産出される。
(中略)
囲碁史として古事記を取り上げたものとして現在『古代囲碁の世界』がある。その最初に古事記「淤能碁呂嶋」が出てくるが、紹介されている古事記本文の写真版を見ると碁の字が基になっている。どの古事記をのせているのか、そしてどの諸本からとったのか。『古代囲碁の世界』の著者は説明していないので、まだ研究の余地がある。
ただし古事記の原本は存在していないのである。今年七月初め神保町古書街をめぐり、応安三年神福寺本『古事記』を発見し、その第一巻を見た。きれいに精筆された文字の中に「淤能碁呂嶋」を発見。まさしく「碁」の字であった。
古事記の研究は筆者にとっては未知の世界でありこれ以上の研究はとても難しい課題である。今回筆者が研究資料として使用したのが享和三年版「古訓古事記」である。
現在は淡路島に「於能碁呂嶋神社(おのころ島神社)」が三原町(現南あわじ市)に実際にある。そして「沼島」上立神岩としてたたずんでいる。しかし淤能碁呂嶋の所在地については諸説あり確立していない。また日本書紀を読むと同じ個所に「磤馭慮嶋(おのごろ)」と出てくるが、これは古事記の「淤能碁呂嶋」の事であるが、筆者はこれ以上研究資料が見出せずにいる。 (南雄司氏解説)
南氏の考察を述べさせていただいたが、もちろん淤能碁呂嶋の場所に関しては諸説あり、博多にもその地名がある。今回はあくまで囲碁史がテーマであるので古事記についての研究はこれぐらいにしておく。
また、「淤能碁呂嶋」の読みであるが「オノゴロジマ」ではなく「オノコロジマ」としたものもある。
日本では「碁」という漢字が見られるようになってから囲碁については「碁」の字が使用されているが、中国では「碁」ではなく「棋」が使用され、現在でも「囲棋」と言われている。それは中国出版の囲碁、いや囲棋の本を見ればわかる。
こういった音韻については詳しくないが、「碁」という言葉について囲碁史会会員であり、囲碁ライターでもある相場一宏氏は次のように述べられている。
わたしたちは碁をゴと読んで、少しも疑問を感じない。しかし、これはじつに変な読みかたなのである。たいていの漢和辞典には、ゴは慣用、キが漢音、ギが呉音、と記されている。どうしてゴが慣用なのか。慣用でゴと読まれるにしても、その理由と時期とを知りたい。
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