囲碁史記 第23回 道策の門人②
道策の門人について
今回は道策の五弟子以外の門人について紹介する。まずは大まかな関係図をまとめてみた。
吉和道玄
五弟子以外の道策門下や関係者を見ていく。その一人が吉和道玄である。
前回紹介した五人が道策門の優秀な五弟子と言われているが、吉和道玄を入れて六天王と称しても良いのではないかと言われている人物である。
道玄は元は道策の師匠道悦の弟子であり、道策とは兄弟弟子であったが、道策が当主となると道策の弟子となっている。このように、跡目が当主となると門下はその弟子に直るということは通常よくあることであった。
道玄は筑後の出で、生没年は不明だが道策よりやや先輩であった。六段の手合まで進み、後年、三百石で有馬家召抱えの碁打ちとなり、七段上手に進む。
道玄の棋譜は元禄十年までに何局か残されているが、道策との対局などで「東山朝尋坊」という名で記されているものがある。版本、写本によっては同じ棋譜が道玄と朝尋坊と異なる対局者名になっているのは、朝尋坊というのが道玄の号であるためではないかとされている。朝尋坊の棋譜を見てみると道策など当時の碁打ちとの戦いぶりから相当の棋力があったことが分かるので、朝尋坊は道玄であろうというのが現在では定説となっている。
境道哲
五弟子以外の道策門下における実力者の一人である。長門の生まれで六段まで進む。元禄十年、道策は道哲と集中的に対局している。この頃の道策は熊谷本碩や道哲、後に述べる小倉道喜と集中的に対局している。道策との対局は二子局のみ遺されている。
道哲は後に五代将軍徳川綱吉の側用人を勤めた牧野成貞に召抱えられる。牧野成貞は自らを本因坊門下と称するほど囲碁好きの大名である。
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