囲碁史記 第121回 中央棋院設立と分裂
前回も述べたが、大正十一年十二月に革新的な改革を提唱する裨聖会が設立され、方円社では囲碁界統一に積極的な理事の鈴木為次郎や瀬越憲作がいなくなり日本囲碁協会設立計画は活動停止を余儀なくされる。
その反面、方円社では重鎮が抜けたショックが大きく、坊社両派が急速に歩み寄ることとなり、東京囲碁界の仮統一組織とも言える中央棋院が設立される事となる。
中央棋院設立の経緯 方円社の丸ビル移転計画に奔走していた広瀬社長は、疲労や、雁金、鈴木、瀬越の三人が抜けたショックのためか病に倒れて