囲碁史記 第115回 「評の評」事件
事件の発端 大正七年、囲碁史に残る事件が発生する。本因坊秀哉による野沢竹朝の破門である。
新聞碁の勝抜戦敗退戦で名をあげ「鬼将軍」の 異名をとった本因坊秀栄門下の野沢竹朝は、大正四年、三十五歳の時に五段へ進み、銀座松本楼で披露会を催する。同年八月、雑誌「虎の巻」誌上に「評の評」を発表するが、これが事件の発端となる。
「虎の巻」は元時事新報の記者、矢野晃南(由次郎)が経営する富の日本社が刊行する囲碁雑誌。矢野が晩年刊行した「棋界秘話」(昭和四年一月、梓書房刊)には掲載が