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渡航証明と警視庁
残り100日だ、と思っているうちに、60日になり、それも切った。
いらないものをメルカリで売り、物を使い切り、行きたいところに進んで行き(でないと消化しきれないので)、引っ越しの手続きや普段のto dosなんかをlistにしてこなしながら過ごしている。
そろそろ本格的に手続きを進める時期だ。
ビザ
詳しいことは、また別に書くつもりなのだが、この手続きがなかなか複雑で、見るだけでうよーっと思ってしまった。
渡航証明をもらうためには、visa applicationを持っていく必要があり、visa applicationにパスポート番号を書くので、パスポートを更新する必要があり、そのためにまず写真を撮る(ビザにも必要だし)。
健康診断も受けないといけないけれど、会社のやつで要検査になってしまったので、まずはclinicに行って、検査を受けた。今すぐどうという問題はなかったものの、説明にならないのでさらに検査を受けるための予約をする。
金銭的に問題がないことを示すために、accountにお金を移さないといけないので、為替をtrackして、少しずつ移動する。
という具合に、ひとつずつこなす。
大学との行き違いがすでにあって苦労したので、"これから書類はしっかり読んで手続きをしよう、これくらいで済んでよかったじゃないか"というlesson learnedで、きちんとやることにした。日程の余裕もなく、"窓口で書類のチェックはしません"というembassyの方針でもあるので、念には念で。
(元)自立系の私に、できないことはない。笑
そういえば、アメリカの時は、日本の学校がやってくれた(手数料も取られた)。ネパールの時は、旅行visaだったので手続きは大したことなく、embassyに出向くだけだった。一軒家のようなembassyだった。
渡航証明
パスポートの更新が終わったので(受け取りは信じられないくらいsmoothだった)、渡航証明をもらいに、警視庁に行ってきた。
調べていると、「警視庁は怖かった」という体験談がいくつも出てきたのだけれど、まったく怖くなく、感じよかった。
警視庁の最寄駅には、半年間UN internとして通っていた。ほぼ時間どおりに、1-2本後の電車、くらいの時間に毎日通っていた。今では考えられないことである。笑
久しぶりの駅だったけど、表示を見なくてもたどりつくことができた。
さて、やってきたぜ、警視庁。
警備員に呼び止められることなく、受付で用件を伝える。待合室(中に人がいるのが見える)で待つ間に、置いてあった警視庁の広報誌を読む。警察官募集、ふむふむ。
すぐに担当者が迎えにきてくれた。感じのいい人で、受付の人たちとも仲がよさそうだった。おそらく派遣か嘱託か、そういうタイプの人だろう。
そして、耐震工事中だという打ちっぱなしのような空間を歩いて部屋に行った。この道中で、どこの国に行くのか、目的は、といったことをばしばし聞かれた。先客もいたし、後客も私のあと待合に入っていたので、時期によるのかもしれないが、渡航証明には一定の需要があるようだ。
前に電話で問い合わせた時には、一度も出なかったけれど。
そして、書類を確認してもらい、読めない大学名ですね、と和やかに会話し、指紋を取る準備が早くできちゃったよ、と談笑し、書類を書いて指紋を取ってもらった。手が乾燥しているとうまく取れないので、乾燥用フォームをつけて、順序良く取った。写真は撮られなかった。和やかな職場だと思った。この内容なら、警視庁とはいえ、公務の窓口と変わらない。
いつできるか教わって、同じく担当者が出口まで連れて行ってくれた。とてもsmoothだった。
最近、"女性スタッフ運"なるものが良い気がする。きれいにしているとお店の人が良くしてくれるのは経験済みだが、きれいにしていなくても、親しみやすさがにじみ出ているのか、新しいメガネかな?
警視庁の同僚
ここで思い出すのは、同僚の(元)警視庁の人たちのこと。
警視庁というのは、都の組織である。つまり、お仲間、同僚で、出向のような派遣のような形で同じ部署に何人もいた。
コナン、なんて思ったりするし、警察学校の話も聞いたり聞かなかったりだったが、直接関わることはなく、眺めたり話を聞いたりするだけだった。
退職して来ている人たちは、G-menと呼ばれていた。
スーツで着て、作業着に着替え、定時の前になるとまた着替えに行って、時間になると同時にあいさつをして、全員で帰っていった。
もちろん一括りにはできない。全員が全員屈強なわけではないし、キャラもあった。
とはいえ、やはり縦社会の統率は取れているというか、ボス的な人はいるようだった。他の部署では、仲が悪かった、なんて話も聞いた。
「私OBなんですー、110番通報入りましたか?」なんて電話で話していた人は、オレオレ詐欺の担当をしていたそうで、問い合わせを受ける担当が適任だなあと思った。
そして、現役で派遣の人たちは、いかにも好青年、という雰囲気だった。
この人たちは出世コースのはずである。毎日課長にあいさつをしてから帰っているのを見て、へー、と思ったものだ。
窓口に苦情を言う人が来て、担当者が困っていると、すーっと出てきてくれるとか、職務質問がすばらしくて、「私がやりました」と言わされてしまうとか、いろんなうわさを聞いたが、実際に見る機会はなかった。
複数で現場に行くとき、公用車の運転手が、現役の警察官たちの車の前を走る構図だったそうなのだけど、
「スピード違反で現行犯逮捕されるんじゃないかと、緊張した」
と言っていた。笑
実際は、その人たちも、厳格に守っているわけではないらしいのだけど。
さらに、当時の仕事では、警視庁とのやりとりが常にあった。
警視庁から電話です、である。笑
契約でも何でも、"反社会勢力ではない"という条項があり、それをチェックするために連絡をしていた。ちなみに、会ったことはないが、チェックしたらそういう人だった、ということはあった。。
今度会うときは
警視庁に行くということで、当時の担当の人にもしかして会ったりして、なんて思ったが、会ってもお互いに、わからない。実は私、元都で…なんて言うはずもないのだった。
現役の警察官たちは、2年ほどで交代していた。
派遣終了のあいさつで、
「今後、違うところでお目にかかりませんように」
と言って、笑いを取っていた。