美人
誰かが亡くなるとき、いつも私はそばにいない。お葬式には行ったことがない。
Sunday
予感は、あったと言えばあった。ここ数週間調子が悪くて、何だろうと思っていた。ある朝、はな、と浮かんで起き、花を買ってみたら、その日はおばあちゃんの誕生日で、花をすでに手配していたことを思い出した。
知らせを聞いて、気づけばお昼を食べていないなあ、と思い、Pancakesを食べに行った。道中でhousemateに会ったので、
"I'm fine, but my grandma passed away"
と話したところ、I'm sorry, という顔になり、そう言ってくれた。
外に出ると、ぶるぶるはbabiesが多いことに気づく。Circle of life.
杖をついて困っている(ように見えた)お年寄りをhugしたくなった。泣けそうだ。帰って書いて泣くのがよさそうだ。
今の私の生活は、悪くない。外に出れば花が咲いていて、鳥のさえずりが聞こえる。
天気は悪いし、家も住んだ21軒の中で一番下だし、この国も好きじゃない。それでも、今の生活は、悪くない。DC生活のように、いずれ懐かしく思い出すだろう。
Timed well
突然ではあったけれど、おばあちゃんいい時を選んだなあ、と思った。みんな直前に会っていて、後悔はないだろうと思ったからだ。
88歳になったばかりで、私は花を贈っていた。届いた、喜んでいる、ということで写真も届いていた。だから私との距離も近かった。ここ数年定期的に訪れていたし、花も贈っていた。
母は数日前に会いに行っていた。おばあちゃんの誕生日に行くはずが、Colonoscopyを受けるのでたまたま1週間押していた。2階のおじさんおばさんは下のいとこに会いに行っていて、いなかった。息子よりも娘(母)に頼りたいわ、というおばあちゃんの意思が見て取れると思った。
おじさんおばさんがいないから、と様子を見に来た上のいとこがおばあちゃんを発見した。災難だったけれど、ちょうど同棲の話が出ていて、支えてくれる人は近くにいたはずだ。
苦しそうな顔ではなかったのが救い、といとこは言っていた。寝ているような表情だったと。
Life well lived
発見された状態は不可解だったが、調べた結果、お風呂に入ったあとだったのだろうということだった。私もそうだろうと思った。
「いつ死んでも後悔はないの」と直前に母に言っていた…と聞くと、ほう、と思うけれど、まあそれはないだろう。
美人は花が好きで、くいしんぼうで、いつも栄養まんてんの料理を工夫して作っていた。なんたって女子大の食物科で、家庭科の先生だったのだ。
私に確実に遺伝しているであろう好奇心旺盛なところもあり、物知りでいろんなことをやって、転職も何度もしていた。裁縫も得意だし、退職してから、フラダンスの大会でハワイにも行っていた。女性らしさは母共に抑圧していたと思うけれど、顔のたるみは気にしていた。笑
美人は自称だった。
連絡先を教えてくれるときは、表示名を自分で美人にするらしい。母は、それを当たり前のこととしていた。笑
ぼけてきていて、丘の上に住んでいて外に出るのも億劫なので、母の近くに住むか?という話も出ていたが、そうしてまわりをわずらわせることもなくなった。
Processing
当日はPancakesを食べに行って、普通だったが、それから3日はgrievingであった。やる気がなく、Activeなことは何もできなかった。寝すぎの頭痛だった。食べていたけれど、食欲は強くなかった。だから、根本さんのブログを読んだり、何かを見たりして、部屋でごろごろ過ごしていた。
1日目は、Dutch classがあり、あくびをして疲れている自分に気づいた。
母は忌引きだった。姫なので、おじさんおばさんが帰ってきていろんな手配をしてくれている間に、平日の用事を済ませているらしい。もちろん、悲しんではいるだろうけれど。
Musicalは行くと楽しいし、rehearsalがあるとのことで練習してから行きたかったのだが、Dutch classのあとに、もう練習する気力はないことに気づいた。私も忌引きなのだろうか。2親等って忌引きの対象になるのだろうか?
ということで、練習行けない、と言ったところ、
と来た。仕事だったら、忌引きで休める以外は、何の配慮もなかったのだろうと思う。こっちの人は優しいのである。
今日は練習に行かなかった、と母にも送ったが、伝わらなかった。それもしょうがない、この人はsensitiveではないのだ。
Musicalに行かないならば、夕ごはんの時間が自由になるので、Fritesと甘いものを買いに行った。ところが月曜日というのは多くのお店が休みで、少し歩くことになった。いつもの池散歩にも行った。人がひとり亡くなったくらいでは、池の噴水も、花も、エジプトガン達も変わらなかった。ひとりではなく、大勢だとしても、変わらない営みがそこにあった。
年末に必ず体調を崩す弟が、Fluで年度末にも体調を崩していた。私同様にヒーラーなのかもしれないし、いつもいない罪悪感とパターンなのかもしれない。
その夜はとなりの山田くんを見て寝た。Netflixでジブリを見ることができるのだ。
2日目は、一番気分が落ちていて、家の外に出なかった。
調子が落ちていると、気分も落ちてしまい、すべてが不安になってくる。そうしてベッドに寝っ転がっていると、時々涙が出てくる。悲しいわけでも、後悔があるわけでもないが、こういうprocessなのだろう。
もうあの声は聞けないんだ…留守電を保存しておいて、それをrecordしようと思ったのに、なんだか面倒になって(手順も面倒だった)やらないままだったなあ。
とはいえ、喋っているところは、簡単に思い出せるのであった。
そろそろだれかに話を聞いてもらうべきかな、と思い、友達やカウンセラーに連絡を取った。普段話を聞く側の私は、助けを求めるのがうまくないのだが、まあまあ練習もしてきたし、私は万国共通の困った状況にいる。海外も器の大きさもAceもあまり関係なく、わかってもらえるだろう。
夜、お皿を洗いに行って、housemateと話をした。
「うちのおばあちゃんが亡くなったときは、1週間静かに、誰とも話さないでいたよ。そのあと、友達に連絡を取ったんだ」
この夜はかぐや姫の物語を見て寝た。
3日目、気分の晴れが近いことを感じた。
引き続きごろごろ読んだりしていたところ、あるものがきっかけになり、私は復活した。それも、頭はこれ以上なく冴えていた。
今までの不調は、晴れた。そう思った。
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